グレイテスト・ショー”ワニ”マン…映画『シング・フォー・ミー、ライル』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2023年)
日本公開日:2023年3月24日
監督:ウィル・スペック、ジョシュ・ゴードン
シング・フォー・ミー、ライル
しんぐふぉーみーらいる
『シング・フォー・ミー、ライル』あらすじ
『シング・フォー・ミー、ライル』感想(ネタバレなし)
ワニが棲みつい…歌ってる!
「ニューヨークの街中の下水道に巨大なワニが棲みついている」…こんな話を聞いたことはありますか?
これは非常に有名で歴史のある都市伝説で、起源を辿ってみると1920年代後半から1930年代前半にまで遡るそうです。もちろんこれは噂話にすぎず、基本はワニは実在しません。動物学的に言えば、温暖な地域に適応する動物であるワニは、低気温を苦手としているので、餌も乏しいニューヨークの下水道では到底長期間は生息できないというのが動物学者の結論です。なのでフロリダのようにもともとワニが自然に生息している地域では、下水のような場所にもワニがいたりはします(『クロール 凶暴領域』という映画でも描かれていましたね)。
でも考えてみるとそもそもなんで「ワニ」なのでしょうか? やはり突拍子もなくて、恐ろしい動物のイメージとしてぴったりだからなのか。
実はよく調べてみると、当時のアメリカの大衆の間での「ワニ」の扱いは今とはだいぶ違ったようです。現在ではワニは「人を襲うこともある、近寄りがたい生き物」という印象が強いですが、1920年代・1930年代のアメリカの人々は「ワニ」をもっと…なんというか「雑」に扱っていました。ペットとしても小さい赤ん坊のワニがたくさん流通しており(フロリダでは土産物になっていたらしい)、「Smithsonian Magazine」によればロサンゼルスには「アリゲーター・ファーム」があって、ワニが見世物になっていたと説明されています(「Smithsonian Magazine」の解説記事にはなかなかに衝撃的な写真がいくつか掲載されています)。
当然、現代的な感覚で言えば、こんなワニの扱いは「動物虐待」になるのですけど…。この時代はこんな世相だったのであれば、遺棄されたワニが下水道で暮らしているという都市伝説が生まれるのも納得がいく気がする…。
ともあれ現在のニューヨークの街中には虐げられた可哀想なワニはいません。でもこの映画では話は別です。
それが本作『シング・フォー・ミー、ライル』。
本作は“バーナード・ウェーバー”というアメリカの児童文学作家が、1962年に書いた「The House on East 88th Street」と、1965年に書いた「Lyle, Lyle, Crocodile」の2冊を原作にしています。物語は、マンハッタンのアッパーイーストサイドに暮らすことになったとある一家が不思議な「ワニ」の住人と出会って交流していく姿を描いています。本当にただ人間みたいに歩けるワニがいるのですが、フィクションのリアリティとしては『パディントン』なんかと同類だと思ってください。
その原作を実写映画化できたのも、やっぱり『パディントン』が成功しているんだし、こっちもいけるだろう!という確信があったのかな。
ただこの『シング・フォー・ミー、ライル』はワニのライルが喋れず歌うことしかできないという特徴があり、その流れから自然にミュージカル要素が多めとなっています。ワニもついに映画で歌う時代になったのか…。ドラマ『ロキ』のワニといい、最近のワニはポップアイコンになるな…。
で、この『シング・フォー・ミー、ライル』で歌うワニの歌唱を担当する本国の人が“ショーン・メンデス”です。この人はどんな人物なのかと言うと、もともとはVineやYouTubeにカバー曲を自分であげており、それが注目されてバイラルヒットし、いつのまにやらトップアーティストになったという、サクセスストーリーを持つシンガーソングライターです。いかにもイマドキですね。2023年時点で24歳と若さ溢れる歌手なのですが、まさかワニの歌を任せられるとは思っていなかったでしょうね…。
そしてなぜか日本語吹き替え版ではその“ショーン・メンデス”に代わって歌を披露するのが“大泉洋”となっており、メディアでもツッコまれて自虐していましたが、そこはいいでしょう。あの人、いじられると元気になるから…。
ワニ以外の出演俳優も見どころがあります。『愛すべき夫妻の秘密』の“ハビエル・バルデム”も陽気にパフォーマンスしていますし、『クレイジー・リッチ!』『ハスラーズ』の“コンスタンス・ウー”も楽しそうに歌ってくれます。
人間側の主人公の少年を演じるのは、『名探偵ティミー』ではホッキョクグマをパートナーにしていた“ウィンスロー・フェグリー”。すっかり動物とセットになっている…。
『シング・フォー・ミー、ライル』は子ども向けの映画で物語もシンプルですが、音楽は『ラ・ラ・ランド』や『グレイテスト・ショーマン』でおなじみの“ジャスティン・ポール”なのでクオリティはじゅうぶん。
今の流行りは下水道のワニじゃないです。ワニのエンターテインメント・ショーをお楽しみください。
『シング・フォー・ミー、ライル』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :歌唱が好きなら |
友人 | :パフォーマンス目当てで |
恋人 | :可愛い映画が観たいなら |
キッズ | :子どもにぴったり |
『シング・フォー・ミー、ライル』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):猫は無事です!
手つきの慣れたパフォーマーのヘクターはシルクハットの帽子の衣装で完璧に準備万端でした。発声練習もしながら陽気に建物内を歩き、乗り込んだのはオーディションのステージ。飛び入りで乱入です。審査者の困惑もお構いなしに自分の得意の手品を披露。
しかし、自分では華麗に決めたつもりでしたが、普通に追い出されるだけに終わります。古臭いマジックなど飽きられていたのです。
ガッカリしながらも小さなペットショップに寄るヘクター。面白いものがないかと期待するもそんな都合のいいことは…。
歌声が聞こえます。店の奥に行くと、飼育ケージの中で小さなワニが二本足で立ちながらノリノリで歌っていました。ライルと名前がついているようで、ヘクターはひとめで気に入って買ってきます。
家に連れて行き、一緒に音楽に乗ってと誘いますが、ライルは喋りはしないようで丸まってばかり。でも歌うことはでき、2人は気持ちを合わせるように歌い上げていきます。
どんどん成長して大きくなっていくライル。今やヘクターとの息はぴったり。2人なら絶対に最高のエンターテインメント・ショーになると確信できました。
いよいよショーのオープニングを飾ることに。けれどもばっちり衣装を決めたライルでしたが、大勢の観客を前にライルは緊張して硬直し、全く歌えないままに終了。笑い者となってしまい、大失敗に終わったショーは散々です。
ヘクターは信頼もカネも失い、資金のために旅に出ると言い、ライルを残して出ていってしまいました。赤いスカーフだけをライルの首にかけて…。
18か月後。プリム夫妻と息子のジョシュがかつてはヘクターの家だった場所に引っ越してきます。新しい生活に夫妻はワクワクですが、ジョシュは不安げ。グランプスという髭の隣人が現れ、ロレッタという猫を抱えています。やたらと高圧的で嫌な感じです。
夜、ジョシュは都会の騒々しい音にいちいち敏感になっていました。そのとき、屋根裏から不審な音が…。見に行ってみることにし、恐る恐る階段を上って真っ暗な屋根裏を確認。埃っぽいその場所にいたのは二本足で立つワニの剥製のようなものが保存されたケースでした。ライルとメモにあり、ジョシュはひとまず安心してベッドに戻ります。
ジョシュは学校までの道のりを母に同行してもらうことになり、学校ではすっかり浮いてしまい、ひとりぼっち。
帰宅してまた夜になりました。猫のロレッタが窓に来たので、あやしていると屋根裏から今度は歌声が…。さすがに歌声が聞こえるのは変です。
また見に行くと、あのワニがケースにいません。ふと後ろを見るとワニが突っ立っています。生きたワニです。そのワニめがけてロレッタが飛びかかりますが、大きな口を開けたワニに飲み込まれてしまい、さらにはワニは夜の街を逃走。
事情が全く呑み込めないジョエルは無我夢中で追いかけますが…。
人間らしさを教えてくれる「動物」
『シング・フォー・ミー、ライル』は前述したとおり、フィクションとしてのリアリティは相当に緩いです。歌うワニがいる世界観ですからね。しかも、この世界の住人はこのライルにそんなに驚きもしません。最初の緊張して歌えなかったステージでも、衣装を着て二本足で立っているワニだけでも、じゅうぶんすぎる見物だろうと思うのですけど、この世界の大衆はエンタメにシビアだった…(それか歌しか興味ない連中なのか…)。
『シング・フォー・ミー、ライル』の基本コンセプトはベタで、『パディントン』『でっかくなっちゃった赤い子犬 僕はクリフォード』などと同様で、非現実的なイレギュラーな動物キャラクターの存在によって、活力を取り戻していく人間のドラマが主軸です。
この構造を持つ物語でカギとなる「非現実的なイレギュラーな動物キャラクター」というのはたいてい非常に際立って擬人化されて描かれる傾向にあります。つまり、この擬人化された動物キャラクターを通して、私たち人間が「人間らしさ(humanity)」を再発見する寓話なのです。
人間にとって「人間らしさ」は存在意義にも関わるので欠かせないのですが、それでも「人間らしさ」って何だろうか?と漠然と迷子になってしまうことは人生において多々あります。人間が人間として人間たらしめるものは何なのでしょうか。何が人間なのかという動物学的な説明を求めているのではないですよ。そうじゃなくて、何が「人間らしさ」なのか。
それを誇張された擬人化で表現された動物が教示してくれる。人間そのものに教わるよりも、動物から教わる方がときには私たちはすんなり理解できたりもします。動物は人間ではないのですが、その動物を擬人化することであらためて「人間ってこうだよね」と気づかせてくれるわけですね。
こういうふうに自分たちの尊厳の回復のために他の動物を利用するという発想を実行する生き物として、やっぱり人間のクリエイティビティは異彩を放っているなと思います。
まあ、動物を飼いならして支配するよりも、こうやって創作物の中で動物がメンターになっていくような役割を付与する方が、まだ動物にとっても健全かもしれないですけど…。
クロコダイル・ロック!
そういう小難しい話はさておき、『シング・フォー・ミー、ライル』の人間ドラマはわかりやすくおさまっています。
まず少年のジョシュは社会に適応するのに苦労しているようでしたが、それをライルとの出会いを通して克服していきます。今作のジョシュはどことなく非定型発達っぽく描かれていましたが、かなり理想化された着地ではありますけど、子ども向けならこれくらいの希望の提示でちょうどいいのかも。
また、そのジョシュの母親にも焦点があたります。今作は夫ではなく妻の自己実現の話になる中で、そこにあまり夫がかけがえのないものとしてセットになってこないのがちょっと変わっているなと思いました。対するジョシュの父親はライルとレスリングして発散したかたちでしたけど、わりとあんなのでいいのかなとは思いますが、今作はそこまで深くは考える気はないのかな。
ヘクターは最終的にライルから離れることになりますが、あそこはライルを見世物として所有しているマイナス面に対するケジメのつけ方なのでしょうかね。でもトゥルーディのビートを刻むヘビに興味を持っているラストのオチなので、あまり反省していないようですけど…。
そしてライルはどうなんだと言うと、歌はもちろん今作の注目シーンですが、基本的な落としどころとして「ワニなら何をしていても面白い」というズルいビジュアル・メリットがあるので、映画ではライルがでてくればたいていの面白さはキープしてくれます。動物管理局に動物園に連行されて他のワニのいる飼育エリアで過ごす場面でも、どことなくシュールですもんね…。
それにしても料理もできるワニなら、かなり便利じゃないですか。私も料理してくれるワニとなら一緒に暮らしたいですよ…。
そう言えば、『シング・フォー・ミー、ライル』はまぎれもなくワニ映画でしたが、思っている以上に猫映画でもありましたね。予告動画ではそんなに猫を取り上げていなかったからわからなかったけど、今作の猫はコメディ方向に寄った典型的な猫でした。ワニに食べられて生還した猫は映画では珍しいと思います。あの猫のロレッタ、ただものじゃないな…。
『クレイジー・パーティー』の“ジョシュ・ゴードン”と“ウィル・スペック”が監督なので、もっと悪趣味でいくのかなと思いましたけど、猫が食べられるあたりのシーンにはその片鱗を感じましたね。
個人的にはもっと歌唱の方面で深みを見せる演出が欲しかったです。なんていうか「人前で歌えるか、歌えないか」というドラマしかないのはもったいない…。『SING シング ネクストステージ』などは、パフォーマンス業界を軸にあれこれとドラマを盛り込みまくって上手く料理しているので、『シング・フォー・ミー、ライル』にもそのボリュームが欲しかったな、と。
あと、この映画を観た子どもには、実際のワニには生ごみを与えてはいけないと教えておいてください。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 72% Audience 93%
IMDb
6.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2022 Sony Pictures Digital Productions Inc. All rights reserved. シングフォーミーライル
以上、『シング・フォー・ミー、ライル』の感想でした。
Lyle, Lyle, Crocodile (2023) [Japanese Review] 『シング・フォー・ミー、ライル』考察・評価レビュー