何かと話題のハリー・スタイルズ主演…映画『僕の巡査』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イギリス・アメリカ(2022年)
日本では劇場未公開:2022年にAmazonで配信
監督:マイケル・グランデージ
LGBTQ差別描写 性描写 恋愛描写
僕の巡査
ぼくのじゅんさ
『僕の巡査』あらすじ
『僕の巡査』感想(ネタバレなし)
ハリー・スタイルズが俳優として本格的に!
芸能の世界で生きる著名人にはいつもマスコミやファンの視線が群がってきて、プライベートを確保するのが容易ではありません。
その保護するのに難儀するプライベートには今やセクシュアリティも含まれています。
例えば、最近まで話題になっていたひとりが“ハリー・スタイルズ”です。「ワン・ダイレクション」というイギリスのボーイズグループのメンバーである“ハリー・スタイルズ”は単独での活動が目立ってきた2010年代後半以降も人気が急上昇し、現在はどこへ行っても熱狂的なファンに囲まれているスター的なアイドルです。
そんな“ハリー・スタイルズ”はクィアなパフォーマンスをすることでも話題で、LGBTQを応援する姿勢を崩さず、そうしたスタイルも支持の基盤となっています。
一方で、“ハリー・スタイルズ”自身は現状は女性とばかり交際が報じられることから、「あいつはクィアのふりをしているが本当はクィアではない。クィアに乗っかっているだけだ。クィア・ベイティングだ」という批判を向けられることもありました。
補足すると「クィア・ベイティング」というのは本来は「性的少数者である(もしくはそれに関連した作品である)かのように曖昧にほのめかして世間の注目を集める手法」のことです。性的少数者の平等などをないがしろにしたまま商業的な利益だけで利用されるのを問題視するために生まれた用語でした。
しかし、近年では一部の人が著名人に対して性的指向を明らかにするように圧力をかけるためにクィア・ベイティングという言葉を乱雑にぶつけるようになってしまい、用語が形骸化しているという批判を招いています(Them)。
“ハリー・スタイルズ”もその烈火の論争に巻き込まれてしまったわけですが、本人はラベルを名乗ることに自分では意味を感じないという姿勢を示しており、それはそれで大切なアイデンティティだと私も思います。
話題が絶えない“ハリー・スタイルズ”ですが、俳優業にも手を広げ始めており、2017年に『ダンケルク』にさらっと出演し、2021年には『エターナルズ』にちょこっと顔見せしたのですが、2022年には本格的に俳優としての“ハリー・スタイルズ”が見られる映画が登場しました。
その公開された“ハリー・スタイルズ”主演作、しかもクィアな役を演じることになったのが、本作『僕の巡査』です。
本作は2012年の“ベサン・ロバーツ”のロマンス小説「My Policeman」を原作としたもので、2人の男と1人の女の三角関係を描いています。
このうち“ハリー・スタイルズ”が演じるのはゲイの警官であり、あの“ハリー・スタイルズ”がそんな直球な役どころを演じるとなれば、やっぱりメディアもファンもまたザワザワしてしまうもので…。
私は俳優がアイドル的に消費されるのを前提に作品を見るのはあまり好きじゃないので、“ハリー・スタイルズ”本人だってきっと俳優として見てほしいと思っているだろうし、作品としての評価にとどめておきたいところです。まあ、でも誰との濡れ場があるのかとか、そういう話ばかりが世間では拡散しやすくはあるのですけどね…。あらためてアイドル的な芸能人が性的少数者の役を演じるというのはややこしくなりがちだなと痛感する今日この頃…。
ともあれ映画『僕の巡査』の話をしましょう。“ハリー・スタイルズ”と共演するのは、『オールド・ナイブス』の“デヴィッド・ドーソン”、そしてドラマ『ザ・クラウン』で話題沸騰となった“エマ・コリン”。ちなみに“エマ・コリン”はノンバイナリーであると公表していて、代名詞「they」を使用しているので、そのへんは留意してくださいね。
他には、『司祭』の“ライナス・ローチ”、『ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出』の“ルパート・エヴェレット”、『ファントム・スレッド』の“ジーナ・マッキー”など。
『僕の巡査』の監督は、主に舞台演劇でキャリアを重ねており、2016年には『ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ』で長編映画監督デビューを果たした“マイケル・グランデージ”。今回で長編映画監督作としては2作目となります。
脚本は、エイズとゲイへの差別に苦しみつつも闘い抜いた男を描く1993年の『フィラデルフィア』でも有名な“ロン・ナイスワーナー”です。
『僕の巡査』はじゅうぶんに話題作になりうるポテンシャルはあるのですけど、劇場公開されずにAmazonプライムビデオでの独占配信となってしまいました。気になる人はぜひ。
『僕の巡査』を観る前のQ&A
A:Amazonプライムビデオでオリジナル映画として2022年11月4日から配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | :落ち着いた鑑賞空間で |
友人 | :俳優ファン同士で |
恋人 | :悲恋な物語だけど |
キッズ | :性描写あり |
『僕の巡査』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):3人の出会い
イングランド南部にある静かな海辺の町であるブライトン。
パトリック・ヘーゼルウッドがヘルパーのサポートでとある家に運ばれてきます。もう脳卒中で倒れて以来、介護が欠かせない健康状態で、体も思うように動かせず、言葉も発しづらいのでした。施設にずっといましたが、マリオンという同年代の女性が引き取ることにしたのです。
パトリックは黙ってベッドに横たわっています。リビングでは、マリオンの夫であるトムがやってきて、ここでパトリックを引き取ることに不快感を持っていることを態度で露骨に表します。「あいつの世話をするなんて愚かだ」
夜中、マリオンはパトリックの私物の箱を探り、「1957年7月31日」と書かれたページのある日記を見つけます。でもそれ以上、読む気にはなれません。
翌朝、マリオンはパトリックに話しかけ、パトリックもたどたどしく「タバコ…」と要求してきます。でもマリオンが「脳卒中になったのにタバコなんて…パトリック、お願いだから我慢して…」と口にすると、パトリックは「でていけ!」と怒鳴るのでした。
マリオンは自分で煙草を吸い、昔を思い出します。
あれはもう40年以上前の1950年代。砂浜で友達と日光浴をしていたマリオンは、近くを歩くトムに目がいきます。彼に気があるのでした。泳ぎに慣れていないマリオンを見かねてトムはプールに連れて行ってくれ、泳ぎ方を親切に教えてくれました。
トムは「教師なの? 俺は本とかあまり読まない。いい本を見繕ってくれない? また泳ぎを教えるから」と提案し、こうして2人の仲は深まっていきます。
ある日、トムはマリオンを美術館のキュレーターのパトリックに引き合わせます。トムとパトリックは以前から知り合いのようです。パトリックは熱心にヤン・リーフェンスの「ラザロの蘇生」などの絵画を解説し、マリオンも楽しそうでした。
パトリックは「金曜日、お暇なら3人で独奏会に行きませんか」と誘い、トムは「マリオンしだいで」と口にし、マリオンもせっかくの誘いなのでOKします。別れた後、トムは「君に恋したんじゃない?」とマリオンに言葉を投げかけ、マリオンは「まさか」と返事。
演奏会ではトムはつまらなさそうに見えましたが、その後の食事では3人でどこに行きたいかで盛り上がります。パトリックは「僕はロシアを見たい。アンナ・カレーニナだ。最も悲劇的かつ真実の愛の物語だ。全ての愛は悲劇だろう?」と夢中に語ります。
3人は仲良くなり、オペラに行ったりもしました。
別の日、パトリックの部屋に連れて行ってくれるトム。そこにはトムの絵が飾っており、絵のモデルになったことがあるそうです。
そしてトムから「妻になってほしい」と切り出されます。
現在、老いたマリオンはパトリックの日記をついに読んでしまい、トムとパトリックの出会いを知ることに…。
1950年代のイギリスの同性愛事情
『僕の巡査』は基本は悲痛で哀愁漂う物語です。それも1950年代という舞台ゆえであり、その歴史上にあった同性愛への迫害を語らずには本作を深掘りもできません。
本作の説明には「同性愛が禁じられた」と書かれているのですが、厳密には男性間のあらゆる種類の性行為が違法で禁固刑の犯罪扱いとなっていたのでした。決して「同性結婚が禁止されていた」というだけではありません(この2点は「禁じられた」という表現だけだと混同されがちです)。もっと昔は男性間の性行為だけで処刑となっていたので、それよりはマシと言えますが、それでも当事者を抑圧するにはじゅうぶんすぎます。
1950年代になると、男性同性愛者への取り締まりが激化します。以前から同性愛への差別を前提とした社会はあったのに、なぜこの時期に過激化したのか。それはドキュメンタリー『プライド』で映し出されるようなアメリカと同様の戦後の社会の変化なのかもしれません。イギリスでは、1949年に婚姻法が初めて婚姻を男性と女性の結びつきによるものであると法的に定義したそうなので(PinkNews)、そのせいで異性愛規範が強化されたという背景もあるのかもです。
とにかく当時はたくさんの男性同性愛者が警察に捕まって刑務所に入れられました。『僕の巡査』でも描かれるとおりです。
トムとパトリックはそんな時代の最中に愛し合っていた男たちであり、その迫害から身を隠しながらも密かに愛し合うために、マリオンという女性を間に立たせることにします。男性2人だけで出歩けば怪しまれますが、そこに女性を加えておけば疑惑を避けることができる。実際、こんな手段にでていた男性同性愛者も当時はきっと珍しくないんでしょうね。
しかし、マリオンはそんな2人の関係に気づいてしまい、あろうことか、パトリックを通報してしまう…。その過去の行為ゆえに3人の関係は崩壊し、1990年代が舞台のパートでは、後悔を抱えるマリオンは今からでもわだかまりで停止した関係を修復しようとパトリックを引き取ることにする…。
2020年代の現在ではこんなシチュエーションはクィア当事者にはそうそうないかもしれませんが、本作はある種の特定の時代を経験した者にしかわからない、戦後ならぬ迫害後の時代に過去を引きずる当事者の清算のストーリーなのだと思います。『シークレット・ラブ 65年後のカミングアウト』にも重なる…。
『恋人はアンバー』でもそうですけど、こういう映画を見るときは時代性の把握は重要だなとつくづく実感しますね。
オールドなクィアたちの物語は悲劇か
『僕の巡査』の脚本はあのベテランの“ロン・ナイスワーナー”なので、非常に老熟した葛藤込みのストーリーを展開しています。今流行りのZ世代テイストなキラキラしたクィア・ストーリーとは全く正反対ということもあり、視聴者の好みで評価は割れるかなとも思います。
メインの3人の俳優の演技は、それぞれがクィアな俳優で演じさせていることもあって、静かに昂る演技がひっそり詰まっている感じで、見ごたえが無いわけではありません。“ハリー・スタイルズ”もこの本作に起用されたのはキャリアとしても大きなプラスになったのではないかな。
ただ、これは俳優の演技力云々ではなく、やっぱり全体的な傾向としてシナリオがシネマティックではないので、フラットすぎる起伏の無さは物足りなさも感じるかも…。トムとパトリックのイチャイチャした表の描き方も、なんだか観光ムービー風に過ぎ去ってしまうし、3人の関係軸をベッドシーンも中心に何度も描くのもありきたりではあるし…。
もちろん設定上はわからなくもないです。そもそも本作の序盤は異性愛の三角関係であるかのように表面上は装っているので、キャラクターの内面を掘って描くことはしません。だから余計に薄く見えます。
それでも、その後もかなりずっと抑えるシーンの連発なので、観客のフラストレーションは溜まりやすく、かなり感傷的なままでラストの静かなトムとパトリックの寄り添いで閉幕する…。合う合わないでハッキリ分かれる映画でしょうね。このエンディングは作中でパトリックが言う「全ての愛は悲劇だ」に対する回答になっているので意味あるシーンなんですが…。
3人の主体的な見せ場がそれぞれでもうワンシーン用意されていれば、違った印象を受けたかもしれない…。
もっと探求できるのではと思うこともあります。同性愛を取り締まる側である警察だったトムをどうやってパトリックは信用していったのか。その複雑な葛藤だけでもさらに描写する価値はあったでしょう。パトリックの職業柄なら海外に恋人でも作れそうなのにずっとトム一筋だったのか。いろいろなドラマはまだ期待できそうですし…。
マリオンについても同性愛嫌悪でトムとパトリックの仲を引き裂いてしまうという役回りとは異なる視点でキャラクターを掘り下げるとか(それこそ女性として誰かの娘として母として、これまた抑圧があったであろう立場に身を置きながら、どうあの時代を生きたのかが本作では伝わらない)、潜在的に活用できることがまだあったキャラクターなのではないかなとも思ったり。
『僕の巡査』の映画はいわゆる「Older Queer」のカテゴリになるのでしょう。ジャンルとしては需要は低いでしょうけど大事なものではないでしょうか。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 40% Audience 96%
IMDb
6.6 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
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・『パワー・オブ・ザ・ドッグ』
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作品ポスター・画像 (C)Amazon マイ・ポリスマン
以上、『僕の巡査』の感想でした。
My Policeman (2022) [Japanese Review] 『僕の巡査』考察・評価レビュー