ピクサーは家族の描き方を前進させる…映画『2分の1の魔法』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2020年)
日本公開日:2020年8月21日
監督:ダン・スキャンロン
2分の1の魔法
にぶんのいちのまほう
『2分の1の魔法』あらすじ
なにをやってもうまくいかない少年イアン。兄バーリーに振り回されつつも努力はするが結果は実らない。そんなイアンの願いは、自分が生まれる前に亡くなってしまった父親に一目会うこと。16歳の誕生日に、亡き父が母に託した魔法の杖とともに、「父を24時間だけ蘇らせる魔法」が書かれた手紙を手にしたイアンは、早速その魔法を試すが失敗。父を半分だけの姿で復活させてしまう。
『2分の1の魔法』感想(ネタバレなし)
多くの人を失った今の時期にこそ
兄弟や姉妹がいない人にはわからないことだと思いますが、自分に兄弟姉妹が存在するという境遇は簡単に良し悪しで語れるものでもないでしょう。
例えば、兄弟姉妹は共有しないといけないことが多いです。裕福な家庭であれば違うかもしれませんが、一般的に親が子どもに与えられるものには限度があります。愛情も、時間も、モノも、おカネも…。なのでひとりっ子なら独占できるでしょうが、兄弟姉妹だとどうしても分配することになるわけで…。これがまあ、喧嘩のもとになるなる。ちょっとでも偏りがあると「なんで○○だけ?ズルしてる!」となるし、均等にしても「これじゃあ物足りない!」と不平不満が続出するし…。
でもそれが結局は兄弟姉妹の宿命みたいなものなんですよね。良いことも悪いことも半分っ子。親よりも年齢が当然近いでしょうし、結果的に人生を共にする時間も下手したら親以上に長くなる。この関係性をどう紡いでいくかは意外にも重要です。
変なものです。親でもなければ恋人でもなければ友達でもないという関係性は。あらためて考えるとこれって最も身近で最小単位な“連帯”のカタチなのかな。
そんなふうにちょっと独り考え事したくなりましたが、今回紹介する映画もまさにそれがテーマの作品と言えるでしょう。それが本作『2分の1の魔法』です。
本作は説明するまでもない、みんな知っているあのアニメーション・スタジオ「ピクサー」の最新作。ここのところは『インクレディブル・ファミリー』(2018年)、『トイ・ストーリー4』(2019年)と2連続で続編モノでしたが、今回はオリジナル作品として送り出されてきました。
ただ運の悪いことにアメリカでの公開は2020年3月6日だったのですが、新型コロナウイルスのパンデミックが拡大し始めた時期に重なってしまい、劇場上映から2週間後という異例の早さで「Disney+」での配信も開始。日本は3月13日に公開予定だったのに大幅延期して8月21日になってしまいました。まあ、映画館で観られるだけマシだと考えるしかないか…。
そういうこともあってこの『2分の1の魔法』はピクサー作品の中でもひときわ影の薄い映画になってしまったのですが、でも素晴らしい作品であることに変わりないので…。とくに非常に大勢の人が病気で亡くなってしまった今の時期、本作の存在は意図せずにではありますがとても大切に響いてくるのではないでしょうか。
なぜならこの『2分の1の魔法』は、大切な人の死をどうやって受け止めていくのか…という誰もが直面するテーマを物語にしているからです。
かつて魔法が普通にあった世界を舞台に、父を亡くした兄弟が1日だけ父を復活させることができる魔法を手にするというストーリー。もし限られた一瞬だけ、この世から消えてしまったあの人に会えるとしたら…ついつい考えてしまうであろう「if」の出来事を、ピクサーらしい豊かな表現で映し出していきます。どんな結末を迎えるのか、ぜひとも注目してください。
監督は“ダン・スキャンロン”という人で、『モンスターズ・ユニバーシティ』の監督・脚本を手がけた人物ですね。『2分の1の魔法』も実は『モンスターズ・ユニバーシティ』と通じる部分が結構あって、そのへんの話は後半の感想で書いてます。
キャラクターに声を吹き込んだ人たちは、映画ファンも知ってるあの二人。ひとりはみんなが親戚のように見守っている“トム・ホランド”。今作でも一生懸命に頑張ってます。尊い。そして、その“トム・ホランド”演じるキャラの兄を熱演するのが、役でもリアルでも調子に乗っている“クリス・プラット”。今作でもテンションは同じです。バカ男です。この二人と言えば、ご存知『スパイダーマン』と『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の主役であり、どことなく二人とも愛されキャラ感が濃いめです。狙ったキャスティングなのかな…。
他にもドラマ『Veep/ヴィープ』で賞を総なめにした“ジュリア・ルイス=ドレイファス”、良き隣人から狂人へと役幅を最近は広げている“オクタヴィア・スペンサー”など、登場人物は少なめながら良い役者が声で物語を引き立ててくれています。
大切な人の死を経験した人にはとてつもなく刺さる一作になるかもしれません。子ども向けと侮らず、じっくり鑑賞してみてください。
オススメ度のチェック
ひとり | ◯(個人の経験でさらに感動が…) |
友人 | ◯(定番のエンタメが望みなら) |
恋人 | ◯(王道のエンタメを一緒に) |
キッズ | ◯(子どもも楽しい世界観) |
『2分の1の魔法』感想(ネタバレあり)
父との対面(2分の1)
昔、世界には魔法が満ちていました。冒険心をくすぐられる、エキサイティングな世界がずっと広がっており、そこで暮らす様々な種族たちは魔法によって不便から解消されていました。火をつけたり、灯りをともしたり、大きいものを動かしたり…。でもこの魔法を使いこなすのは簡単ではありません。
そこで科学です。電球が発明されれば、もう光の魔法は必要なし。コンロで料理できれば、火をつける魔法は用済み。車移動が普及すれば、足の速いケンタウロスだって苦労しなくていいのです。時がたつにつれ、魅惑に満ちた魔法は綺麗さっぱり消えていました。誰もが忘れてしまうくらいに…。
それから多くの年月が経過。エルフの少年イアン・ライトフットは16歳の誕生日を迎えました。母ローレルに「誕生日おめでとう」と言われながら、足元を駆けずり回るミニドラゴンのペットのブレイジーを交わしつつ、イアンは温かい家庭に囲まれた1日を始めます。
そんなイアンにとってひとつ気がかりなもの。それは父親です。父のスウェットを着ながら、イアンは父を想います。イアンの父親はイアンが生まれる前に病気で亡くなってしまいました。なのでイアンは父を知りません。知っているのは残された写真と音声だけ。それを見つつ聞きつつ、イアンは知らない父を想像するしかできません。
イアンには兄のバーリーがいて、大の歴史&魔法オタクです。かつての魔法の時代の歴史的遺物をめぐったり、魔法が載っているカードゲームやボードゲームにハマったり、できるのはそれくらいですが…。
母はどうやら父を失ったことと折り合いをつけているようで、今はコルト・ブロンコというケンタウロスの警察官と親しくなっており、イアンとバーリーはどうもそれが気に入りません。
イアンはある店で父を知っている人と出会い、父への憧れが増しました。そこで誕生日を良い機会ととらえ、ノートにやりたいことを書いていきます。一番はもちろん「父さんのようになる」こと。ただ、どうもイアンは臆病な性格ゆえに、車の運転も高速に合流する勇気がでないし、いろいろダメダメでした。それは自覚しています。
思い切ってパーティーに友人を招待してみようとしますが、そこに愛車の「グウィネヴィア」を乗り回したバーリーが登場。人騒がせな奴として知られているので、気まずくなったイアンはおじけづいて退散。
そんなとき、母から二人が16歳以上になったら渡せと言われた父さんからの贈り物があると言われます。それは布にくるまれており、中にあったのは杖。そして手紙も。
そこには「呪文」が書かれており、魔法オタクのバーリーいわく「父さんを一時的に蘇らせる」ということができるんだとか。フェニックスの宝石も入っており、これを触媒にするようです。
さっそく杖を持って試すバーリー。無反応。また唱え直す。無反応。何度やってもダメです。しかし、イアンが文章を読むと杖が反応。足、さらに腰が出現しだします。けれども杖が赤くなり、耐えきれなくなったイアン。そのままエネルギーが爆発してしまいました。
何事かと状況を整理する兄弟。するとクローゼットでもぞもぞと動く“何か”。それは父親…の下半身だけ。声は聞こえないようで、足を叩いてコミュニケーション。でもさすがにこれは父との対面とは言いがたいです。
明日の日没で消えてしまうので、24時間のタイムリミット。別のフェニックスの宝石を見つけないといけないといけないという話になり、バーリーがカードゲームの知識に頼って目的地を推測。場所はマンティコアの酒場。お気に入りのバンをかっとばし、下半身だけの父と一緒に兄弟の旅が始まります。
私の物語であり、私の世界
『2分の1の魔法』は世界観がなかなかに壮大です。ピクサーお得意の現実とファンタジーのミックスですね。でも案外とこの世界観を余すところなく描き切る壮大なアドベンチャーが展開されるわけでもなければ、世界の危機を救う一大スペクタルが起こるわけでもないです。
ちなみに日本版のポスターでは人魚とかが映っていますけど本編には全然出てきません。どうやら脚本考案中のストーリーボードの段階では人魚が登場するシーンがちゃんとあったらしいですね。
それはともかく『2分の1の魔法』はルックに反してスケールの大きい冒険譚ではないです。むしろ真逆で非常にプライベートでミニマムな物語になっています。つまり、主人公の兄弟が「亡き父」と向き合う物語です。
これは“ダン・スキャンロン”監督の私的な体験を基にしているそうで、監督も1歳の幼い時に父を亡くしたとのこと。
最近のピクサーは監督自身の個人的人生観を強く反映した作品が多い印象です。『アーロと少年』や『リメンバー・ミー』など、家族と死…これらの要素が定番トピックになっています。ディズニーは歴史あるアニメーション・スタジオゆえに自社が抱えてきたイメージ(プリンセスとか)をどうやって現代と折り合いをつけるか、そこに今はクリエイティブを全力発揮している感じですが、ピクサーはそういう歴史もないし、ましてや今は創設者のひとりであるジョン・ラセターもいないので、個々の監督の経験にかなり任せきっているのでしょうか。
でも考えようによってはこれは凄いことです。普通は大手のスタジオはこんな監督イチ個人の体験を基にしたオリジナル物語なんて企画を易々と通してくれませんからね。やっぱりピクサーの自由なクリエイティブは健在なんだなと思わせます。
『2分の1の魔法』も魔法の世界ですが、これは要するにいわゆるフィクション上のエンターテインメントとしての魔法世界であり、おそらく監督が幼少からそういうコンテンツが好きだったという趣味を反映してのことでしょう。作中の登場する魔法的アイテムやモンスターの数々が「ダンジョンズ&ドラゴンズ」からそのまま引用されています。
だからまさに「私の物語」であり「私の世界」そのもの。こういう作品を作れるのは作り手の冥利に尽きる、幸せなことだろうなと思います。
「父を知らない」人を否定しない
『2分の1の魔法』はストーリー展開自体はほぼ終盤まで定番どおりで、意外性を期待しているとガッカリかもしれません。でも終盤に予想と違うコース変更をしてきます。
イアンとバーリーの喧嘩もしつつな冒険はまさかの振り出しに戻ります。これはつまり人生の“今”に帰ってくるという意味とも解釈でき、すごくアンチ・ファンタジー的ですらあるなと思うのです。ましてやファンタジーの王道ともいえるドラゴン(しかも本物の肉体を持ったドラゴンではなく瓦礫の寄せ集め)と戦うのですから。
この物語は「大切な人の死」というものを『リメンバー・ミー』のように文化的・宗教的解決で着地させず、ましてやファンタジックな奇跡でも片づけません。
そしてその姿勢がさらに強調されるのがラストのオチ。イアンは父と直接向き合えず、岩の隙間から日が沈む短い時間だけ父と面会できたバーリーを見つめるのみ。
普通だったらここで兄弟が父と対面する感涙必須のいかにもエモーショナルなシーンを持っていきそうなものなのにそれをしない。このやけに引いた終幕。
同じく“ダン・スキャンロン”監督の『モンスターズ・ユニバーシティ』も似たようなストーリーエンディングだったのを思い出しました。あまり言うとそちらのネタバレになるので控えますが、観客は「ここは普通はこういうハッピーエンドだろうな」と推測した場所から意外にズレたラストを迎える。それは世間的にあまり完全ハッピーエンドではないのでは?と思うところだけど、それをあえて描く。
『2分の1の魔法』もまさにそういうところがあって、死に対する向き合い方がビターなほどにリアルで、それまでの世界観とのギャップにちょっと面食らいます。
でもきっとこれでいい。私は少なくともそう思いました。
その理由としてまずこういう父を想う物語というのは下手すれば家父長制の肯定になりかねないリスクもあり、それに対して本作は父という存在を極端に偉大なモノとして描くことを上手く避けています。
また、イアンの「父を知らない」ということを否定しない着地にしているのも良いなと感じた部分です。世の中には「父を知らない」子どもなんていっぱいいますし、そんな子はきっと「お前は父を知らないんだろう?」とバカにされたこともあるでしょう。そんな子たちに対して「いや、父を知らなくてもいいんだ」「父が残したものを感じ取れればそれだけで素敵じゃないか」と優しく慰める。そんな温かさはなかなかないのではないでしょうか。
男の子の成長にヒロインはいらない
『2分の1の魔法』は他にも変わった側面があって、例えば、ここまで男子男子した物語なのに本作には「ヒロインが不在」なのです。
これも定番だったら、あの兄弟の旅に女子が加わり、恋やらなんやら経験しながら「男として成長する」というベタな展開を描くでしょう。でもそうはしない。
ここもやっぱり安易なジェンダーステレオタイプな路線には従いませんよという作り手の意思を感じます。イアンを既存の(有害な)男らしさを用いて「成長した」ということにはしない…それをやってしまったら本当に意味ないですから。それは同時にイアンとバーリーがいかにもベタベタなホモ・ソーシャル感を形成しないことにも繋がりますし…。
男の子の成長に献身的な女子はいらないんだ!という本作の高らかな宣言はなかなかに大事なことだなと私も思いました。邦画(実写もアニメも)でもそうなのですが、どうしても男の子の成長を描こうとすると、やけに無条件で献身的な女の子が出てきがちですからね。女の子がまるで触媒みたいに扱われるのはもうこりごりですし…。
一方で母親の描き方も既存の定番を打破しています。『2分の1の魔法』の母は家で家庭を守る番人ではなく、外に出てどんどんと物語に関与するまさしく「戦士」。あのマンティコア(コーリー)とのおばちゃん友情も愉快ですしね。息子を過度に甘やかすでもなく、絶妙な距離感で剣を届ける、良い母&息子のキャッチボールだったのではないかな、と。
あとこれは一部で話題になりましたが、最近のピクサーはメインキャラではないところでサラっとLGBTQ描写を入れてくるようになっており、なんかもういかにして検閲に気づかれないかのせめぎ合いを楽しんでいる感じすらしますが、まあ、今回もいるわけです。それが作中で兄弟が警察に止められた際に出てくるキュクロープスの警察官(スペクター)で話しぶりから同性愛カップルだとわかります(ちなみにこのスペクターの声を演じた“リナ・ウェイス”はレズビアンです。『レディ・プレイヤー1』にエイチというキャラで出てましたね)。
こんなふうにピクサーも家族をテーマにした作品によく手を出す中で、どんどん家族観の多様化が進んでいるんですね。それは劇的な変化ではないかもしれないし、当事者には物足りないでしょうけど、でも半歩ずつくらい「前に(onward)」進んでいる。
『2分の1の魔法』はピクサーが完全体になるまでの途中経過な一作なのかもしれませんね。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 88% Audience 95%
IMDb
7.4 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
関連作品紹介
ピクサーのアニメ映画の感想記事の一覧です。
・『リメンバー・ミー』
・『インクレディブル・ファミリー』
・『トイ・ストーリー4』
作品ポスター・画像 (C)2020 Disney/Pixar. All Rights Reserved.
以上、『2分の1の魔法』の感想でした。
Onward (2020) [Japanese Review] 『2分の1の魔法』考察・評価レビュー
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