あれもこれも…映画『プレゼンス 存在』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2024年)
日本公開日:2025年3月7日
監督:スティーヴン・ソダーバーグ
性描写 恋愛描写
ぷれぜんす そんざい
『プレゼンス 存在』物語 簡単紹介
『プレゼンス 存在』感想(ネタバレなし)
幽霊の視点はジャンルも変わる
2021年にアメリカの成人1000人を対象に行われた世論調査では、41%が幽霊の存在を信じており、20%が個人的に幽霊を体験したことがある…と答えたそうです(The Conversation)。2025年3月時点の“ドナルド・トランプ”大統領への無党派層の支持率が41%との調査結果がでているので(CNN)、幽霊を信じている割合と同じくらいなんだな…。
生きていた人が死んだ後に残される霊魂の存在…その幽霊の存在は怪しげで謎に満ちていますが、現状、科学的に存在が証明されたことはありません。
だからこそ映画などのフィクションではさまざまな解釈で描くことができます。私は残念ながら幽霊を体験できたことはないのですけども、幽霊を描いた映画はとても楽しく観させてもらっています。
多くの幽霊映画は怨霊や悪魔なんかが結びついてやたらと凶悪な心霊現象でこちらに襲いかかってきたりもするのですが、本来、幽霊というのは善も悪もなく、漠然とした霊魂です。きっといろんな幽霊がいるはず…いや、そうあったっていい…。
今回紹介する映画は、幽霊が主題なのですが、だいぶ変わったアプローチの作品になっています。
それが本作『プレゼンス 存在』。
この映画『プレゼンス 存在』が何が変わっているかと言えば、幽霊の視点で全編にわたって描かれるのです。一般的に幽霊モノの映画は、正者の登場人物がいて、場所はどこでもいいですけど、とにかく何かしらの場で幽霊が不意に登場し、驚かせ怖がらせてきます。観客はその登場人物と視点を共有し、幽霊はいわばサプライズな演出と同質です。
対するこの『プレゼンス 存在』は、観客が幽霊そのものと一体化したような感じで、登場人物を傍観することになります。見え方は全然変わってきます。
これは考えようによっては、映像作品におけるカメラマンの視点を幽霊に置き換えたようなものです。通常の映像作品にはカメラを持った人がいて登場人物を撮影していますが、当然そのカメラマンは作中に実在しない不透明な人物。観客はそのシーンにカメラマンがいるという事実を意識しないようになっています。本作はそれを「幽霊です」と理屈づけしたようなアレンジと言えるかもしれません。
本作の日本の宣伝では「本当に怖いのは人間か、幽霊か」という月並みなキャッチコピーがついていますが、こういう幽霊の視点を全面に打ち出しているゆえに、この映画はよくあるホラーのジャンルから少し離れています。
あまりネタバレはできませんが、観客が突然の幽霊に恐怖することはないわけですからね。なにせ観客の視点が幽霊の視点です。どちらかと言えば、幽霊になった気分になれます。かといってお気楽な物語でもないのですけど…。
そうなってくると、「じゃあ、この幽霊って何なんだろう?」という疑問がでてきますが、それは…見てのお楽しみ。
この一風変わった幽霊主観映画『プレゼンス 存在』を監督したのは、数々の作品を量産している職人気質の“スティーヴン・ソダーバーグ”(スティーブン・ソダーバーグ)。
2018年からここ最近はすっかり監督作が映画館で公開されなくなってしまい、2023年に久々に『マジック・マイク ラストダンス』が日本で劇場公開されましたが、今回の『プレゼンス 存在』も日本で映画館で観られます。急にソダーバーグのターンが劇場に回ってきたな…。
“スティーヴン・ソダーバーグ”監督は低予算でサっと映画を撮ってしまう人ですが、今回の『プレゼンス 存在』も小規模製作です。ひとつの家の中だけで展開し、幽霊の視点のみですからね。
『プレゼンス 存在』の脚本を手がけるのは、『ジュラシック・パーク』シリーズや『インディ・ジョーンズ』シリーズの“デビッド・コープ”です。
俳優陣は、『シャザム!神々の怒り』の“ルーシー・リュー”、『ハイウェイの彼方に』の“クリス・サリバン”、そして新進気鋭の“カリーナ・リャン”など。アジア系中心のキャスティングになっています。
幽霊とかがでてくるホラー映画が苦手な人でも、幽霊に怖がらされることはないので見やすいかもしれませんが、そういう人は幽霊の視点になるのも嫌かもしれませんね。そこまで残酷な描写が立て続けに映るわけではないですが、不吉な死の匂いはつきまといますし…。
ひと味違うアプローチで幽霊を味わいたい人向けの映画です。
『プレゼンス 存在』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | 身体の自由を奪う暴力の描写があります。 |
キッズ | 性行為の描写が一部にあります。 |
『プレゼンス 存在』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
薄暗い何もない広々とした家の室内を2階から1階へとスーっと動いてウロウロする、とある存在。その家は閑静な住宅地にあるようで、窓からは平穏な日常が眺められます。並木、道路を走る車、見えるものはいたって普通。しかし、その視点は家から外に出ることはありません。
外が明るくなり、窓から見下ろせる敷地に1台の車が止まります。ひとりの女性が入ってきて、慌ただしくキッチンに来ます。何か準備している様子。
すると玄関で今しがたやってきたばかりの4人の家族を出迎えました。
ペインズ家は、母親のレベッカ、父親のクリス、長男のタイラー、その妹のクロエの顔ぶれで、今日はこの郊外の家を見に来たようです。と言っても、タイラーはスマホばかりしか関心なく、夫婦は脱線しながら会話が止まらない状況。
10代のクロエだけが2階をうろついて眺めます。自分の部屋になるであろう場所を…。
内覧は終わり、家族が引っ越すことになりました。室内に業者の男たちが続々と入ってきます。室内の壁を青系統の色に塗り替え、雰囲気も変わります。
こうしてあの家族は住み始めました。しかし、家族はギクシャクしています。
レベッカは職場で不正な行為に手を染めてしまっており、それを抱え込んで何事もなく振る舞おうとしています。夫のクリスは別居を内心では考えているほどに、妻とは心が離れつつありました。
クロエは母のレベッカにあまり愛されていません。母はタイラーにばかり親愛を捧げており、対応は差がでています。
そのクロエはそれ以外にもある苦悩を秘めていました。ベッドでひとり泣いていることもよくあります。その理由は、親友のナディアが最近亡くなったからです。突然の死でクロエは受け入れることができていません。
ある日、クロエが寝ていると何かを感じて起き上がります。何かいるような気がする…。「ナディア?」と呟いてみますが、反応はありません。
別の日、タイラーは友人のライアンを家に連れてきて、クロエに紹介してくれます。
その家族外の相手にクロエは心の内を話すようになっていき…。
幽霊の正体はそこに映っている

ここから『プレゼンス 存在』のネタバレありの感想本文です。
『プレゼンス 存在』は「幽霊の視点で描く」ということが一貫しており、当然それは幽霊の一人称視点ということになります。一人称視点の映画というのは最近も『ニッケル・ボーイズ』なんかがありましたが、映像演出上の制約が多く、上手くはめ込むのも大変です。
一人称視点でストーリーテリングすることの何が難しいかって、本来の主人公となるキャラクターの表情が見えないので、感情が観客に伝わりにくいことです。一般的な主人公の顔が映る作品なら、その些細な表情の変化からも「今はこんな気持ちなのかな」と読み解くことができます。一人称視点はその感情の共有が難しく、声や周囲の反応から察するしかありません。もしくは一人称視点となっているキャラクターの顔が鏡などに映ることで間接的に理解できる…みたいな演出も駆使されることがあります。
しかし、この『プレゼンス 存在』は幽霊です。ここが最大の厄介なところ。幽霊なので声も発しません。何かに反射して映りもしません。周囲にも気づかれもしません。
こうなってくると本当に一人称視点となっているこの存在を推し量る材料がほぼ皆無に等しいです。
本来であれば、一人称視点にすることでその視点者のキャラクターと観客が感覚を共有し、たとえその人しか経験していないような特異な物語でも没入感を与えるという効果をもたらすこともできます。
しかし、『プレゼンス 存在』は幽霊なので、感覚の共有も難しいです。
本作を観ている際の観客としての気分は「なんか私って幽霊の視点になってる…。でもこの幽霊って誰なんだろう…」という漠然とした疑問でしょう。
この「幽霊の正体は?」という謎が本作のストーリーテリング上の推進力になっています。
といっても、回答の選択肢はそれほど多くありません。もともと登場人物の少ない映画です。クロエは亡くなった友人であるナディアではないかと最初は予想します。時系列的にはそれがしっくりきます。
しかし、霊能者の分析からこの幽霊は時間軸を超越していることが判明。最後に一瞬その顔がマントルピースの鏡に映ることで、家族のうちのあの人物だということがわかります。
正直、個人的にはその正体は一番面白味にかけるものではあったかなと思います。まだ、複数の死亡者がでて、幽霊も実は複数いた!ぐらいの驚きの展開のほうが良かったかな…。
これだと要するに何かしらの加害性をみせていた男性が死して反省しているというオチであり、ちょっと加害者寄りに甘い方向に傾きすぎている気もしますし…。本作の場合はただでさえ現実における最も醜悪な加害者側も死んでいるので、その加害者も幽霊になって現れたらどうするんだ?と、あの結末を観ながら私は気が気ではなかったですよ。『ビートルジュース ビートルジュース』みたいになりそう…。
幽霊視点の弊害
『プレゼンス 存在』は「幽霊の視点で描く」という点で徹底しているのはいいのですが、そのコンセプトにこだわるあまり、わりといろいろご都合的な穴が見えやすい作品でもありました。その穴を上手に隠すプロットなら少しマシかもですけど、隠せてはいません。
幽霊視点なので長回しが多用される際も妙にゆったりしたカメラワークが流れます。緊迫感はないです。そもそも撮影も難しいテクニックはなく、視点も平凡。幽霊なんだからいくらでもトリッキーな視点に変えられそうですけども、そういうことはしません。良かったですよ、これが『ゴーストバスターズ』にでてくる幽霊の一人称視点じゃなくて。もしそうだったら映像酔いする人が続出してます。
まあ、でも観ていて思いましたけどね。なんでクローゼットに隠れるんだろう?と。幽霊で透明なら物理的に隠れる必要もないのに…。
あの妙に隠れて見ている演出のせいもあって、幽霊の正体を考慮すると、妹のクロエが男と性行為するのを覗くのが趣味みたいに思える構図になっちゃっていて、ちょっとあらぬ誤解を招く描写ではありました。というかプロットが完全にそうミスリードさせるように意図してる感じすらある…。
そして幽霊の能力の描写も考えれば考えるほど都合がいい感じではあります。
作中で何度かポルターガイストを起こしますが、本を浮かせたり、振動でコップを倒すほかに、かなり大きな衝撃も起こせます。だったらあのシリアルキラーのライアンをもっと手っ取り早く倒せないのかと思わなくもない。能力の連続使用はできない仕様なんだろうか…。
この本作最悪の加害者であるライアンのキャラクター性もありきたりと言えばそうで、面白くはなかったです。被害者となってしまうクロエも可哀想なポジションでしかなく、被害者側の主体性に著しく欠ける物語ではあるので…(ナディアといった友人の死別を乗り越える論点も最後はうやむやになった感じだし)。これは本作が幽霊視点であることの大きな弊害のひとつですね。
『プレゼンス 存在』のような幽霊視点のアプローチの映画が今後もでてくるかもしれませんが、アイディアしだいでまだまだ面白いものに化けるかもしれません。これはこれからの創作に活かすためにも、幽霊当事者の意見を聞いてみたいところ。
どうなんですか、実際。幽霊としてそこらへんに漂うことって映画的にどう組み込めますかね? この感想を読んだ幽霊の皆さんの意見をお待ちしています。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
関連作品紹介
スティーヴン・ソダーバーグ監督作の映画の感想記事です。
・『KIMI サイバー・トラップ』
・『クライム・ゲーム』

・『レット・ゼム・オール・トーク』
作品ポスター・画像 (C)2024 The Spectral Spirit Company. All Rights Reserved.
以上、『プレゼンス 存在』の感想でした。
Presence (2024) [Japanese Review] 『プレゼンス 存在』考察・評価レビュー
#アメリカ映画2024年 #スティーヴンソダーバーグ #ルーシーリュー #幽霊 #死別 #シリアルキラー