1960年代のイタリアの同性愛迫害の象徴的事件を映す…映画『蟻の王』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イタリア(2022年)
日本公開日:2023年11月10日
監督:ジャンニ・アメリオ
LGBTQ差別描写 恋愛描写
蟻の王
ありのおう
『蟻の王』あらすじ
『蟻の王』感想(ネタバレなし)
アリの王はなぜ罪に問われたのか
地をちょこちょこと這う群れを作る小さな虫…「アリ(蟻)」。アリの性別って不思議です。働きアリはそのほとんどがメスですが、生殖行動はとりません。ひたすら餌を集めるなど、群れの維持に関わる作業に没頭します。1つの巣に1匹だけいる女王アリだけが繁殖を行い、オスと交尾します。
だからよく一部の人間は「メスっていうのは子を産む能力があるものでしょ?」なんて知ったかぶりしますが、アリには通用しません(まあ、人間だって女性はみんな子どもを産むわけじゃないですが)。
なお、アリとよく似ているけどゴキブリの仲間であるシロアリは、アリと違って働きアリでもメスとオスが一緒に仕事しているのですが、中にはメスしか存在しない(単為生殖だけで個体群を維持する)シロアリも発見されているそうです(京都大学)。こうなってくるとオスに存在意義はありません。
ともかくアリのような虫たちは人間の常識に当てはまらない性別の在り方をしているものが溢れており、未知の生態が無数にあり、研究者は日夜その解明に向き合うことになるわけで…。
今回紹介する映画はそんなアリの研究をしていた実在の人物の話…なのですが、別にアリが本題ではないのです。その人が“ある罪”に問われて前代未聞の裁判に発展した話です。
それが本作『蟻の王』。
なかなか強烈なタイトルですが『アントマン』みたいな奴はでてきません。なお、同名の漫画があるようですが、全然関係ないです。
本作『蟻の王』はイタリア映画で、1922年生まれの「アルド・ブライバンティ」というイタリア人男性が主人公の映画です。このアルド・ブライバンティはアリの研究者だったのですが、芸術にも長けており、いかにも知識人という感じの生活を送っていました。あるとき、ひとりの若い男に恋をし、関係を持つのですが、それが若い男性側の家族に露見し、引き離され、さらにはアルド・ブライバンティはその一件のせいで1960年代に逮捕されてしまいます。
ここで押さえておきたい事実として、当時のイタリアでは同性同士の性的関係は違法ではありません。ドイツでの同性愛者迫害を描いた『大いなる自由』みたいに、男性同士の性的関係が違法なので逮捕されるというような状況はヨーロッパ各国で起きていましたが、少なくともイタリアにはそんな違法性に直接言及した法律はないのです。
ではなぜアルド・ブライバンティは同性愛の関係が発覚して逮捕されることになったのか。その顛末と裁判の行方をこの『蟻の王』は淡々と映し出しています。
現実の虫の生態では、アリの王はいません。アリの女王はいるけど…。そんな「いないもの」と照らし合わせるタイトルの意図は、観ればよりハッキリするでしょう。
この『蟻の王』を監督したのは、イタリアの巨匠“ジャンニ・アメリオ”。『宣告』(1990年)、『小さな旅人』(1992年)と映画を生み出し続け、1998年に『いつか来た道』でヴェネチア映画祭にて金獅子を受賞。その後も『家の鍵』(2004年)、『最初の人間』(2011年)、『ナポリの隣人』(2017年)、『Hammamet』(2020年)と精力的に名作を送り届け、人間の尊厳を問うような題材や物議を醸した人物を掘り下げるアプローチが特徴でした。
“ジャンニ・アメリオ”監督は、2014年に『Happy to be Different』という20世紀のイタリアのゲイの人たちの生活に焦点をあてたドキュメンタリーを公開し、その際に自身も同性愛者であるとカミングアウトしています。
俳優陣は、『ぼくの瞳の光』の“ルイジ・ロ・カーショ”、『我らの生活』の“エリオ・ジェルマーノ”など。加えて本作で映画デビューを果たした”レオナルド・マルテーゼ”が、主人公の恋相手を熱演し、新人として羽ばたいています。
かなり地味な展開が続くのですけど、本作で描かれる社会の空気は現代の日本とそっくりなので、じっくり考えてみてはどうでしょうか。
なお、本作には同性愛者を異性愛者に変えることを目的とした(そして現在では専門家はそれは危険な非人道的行為であると断言している)「転向療法(コンバージョン・セラピー)」として拷問的行為が描かれます。その他、いくつもの同性愛者差別の描写がありますので、そこは留意してください。
『蟻の王』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :題材に関心あれば |
友人 | :シネフィル同士で |
恋人 | :悲しいロマンスだけど |
キッズ | :かなり地味 |
『蟻の王』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):突然の裁判
1965年にローマの街並みにあるごく普通のペンション。そこに静かな時間帯にひとりの女性がゆっくり部屋に入っていきます。まるで恐る恐る触れたくないものに目を向けるかのように、その部屋を見まわし、窓を開けます。そのベッドには男2人が抱き合って寝ていました。
その片方である若い男、エットレは連れ出され、意識を失って、強制的に車に押し込められます。もう片方の眼鏡男、アルド・ブライバンティが追って道路に出るも手遅れです。
エットレは施設に搬入され、診察台に括りつけられ、処置室に入ります。そこで医者は「心配するな」と優しく語りますが、頭に装置をつけられ、電気を流されるのでした。抵抗はできず、その苦痛にビクビクと痙攣するエットレの若い体…。
2人の出会いは1959年の春。ポー川南部の街であるピアチェンツァに住む詩人で劇作家、そして蟻の生態研究者でもあるアルドは、この穏やかな地で、若者向けの芸術サークルを開いていました。
そのサークルでは熱意で集まった若者たちがおり、アルドはときに情熱的に指導し、高圧的な態度をとることもありました。
アルドはその傍らで蟻の研究にも専念しており、その研究の場にいた若きリッカルドから弟のエットレのことを教えてもらいます。
エットレのことをアルドは気に入り、蟻について野外で熱心に教え込みます。蟻はとても高度な社会性を有した昆虫で、行動は非常に興味深く、探求しがいがあること。エットレもそんなアルドに心酔し、一緒にいる時間が増えていきます。
エットレの家は裕福で、医者というキャリアを目指すべきであると親は考えていたようですが、エットレ本人は芸術に興味があります。
そんなアルドと意外にも仲良くなってしまった弟に嫉妬した兄は、エットレに冷たくあたるようになっていきます。
ある日、アルドはこのエットレをローマに連れて行くことにしました。この文化的な街で一緒に暮らして、さらに絆を深めるつもりでした。
ところがエットレの両親はそれを快く思いません。エットレをたぶらかし、道を踏み外させたとみなし、警察に通報してしまいます。
こうしてエットレはアルドから引き離され、施設送りとなりました。
それだけでなくアルドは「教唆罪」で逮捕され、裁判が行われることになります。
この事件を知った新聞記者のエンニオは個人的にこのアルドに関心を持ち、積極的に取材を重ねていきます。世間の好奇の目に晒されながらも、冷静に振舞うアルド。対するエットレの家族や警察側は今回の一件を危険な犯罪であるとして最初から厳しく追求する姿勢を崩しません。
裁判はどんな答えをだすのか…。
「plagio」
ここから『蟻の王』のネタバレありの感想本文です。
『蟻の王』で描かれるアルド・ブライバンティの突然の逮捕。前述したとおり、当時のイタリアには同性同士の性的行為を違法とする法律はありません。厳密には1890年から同性同士の性的行為を明確に違法とする法律は消滅しました。
しかし、今回のアルドは「plagio」という罪で逮捕されます。これは一般的には「盗作」という意味のイタリア語なのですが、今回の事件ではそういう話ではありません。
日本語では「教唆罪」と訳されていますが、これも内容がイマイチわかりません。
つまり、心や魂を奪って支配した罪…ということです。あえて直訳すると「精神的隷属罪」みたいな感じでしょうか。
心や魂を奪うって、そんな怪物や妖怪みたいなこと? アイドルやアニメのキャラクターに心を奪われてメロメロです!…みたいなのも犯罪なの?
意味不明ですが、そのとおり、意味不明なんです。めちゃくちゃ支離滅裂な罪状を突きつけられてしまったのがこのアルドなのです。
この「plagio」は元をたどればベニート・ムッソリーニのファシスト時代に遡り、当時、同性愛を違法とする法律条文が作られかけたのですが、「我が国に同性愛者はいない。ゆえに法律もない」という強引で自己中な主張で法律は作られず、でも同性愛者は処罰されるという法治国家の欠片もない独裁社会がまかりとおっていました。
今回のアルドはそのムッソリーニ時代でも適用されたことのない「plagio」を初めて裁判で論じることになったわけです。ムッソリーニのファシスト時代がわざわざ裁判で再来したのです。
本作の裁判劇は、近年もあった『眠りの地』みたいな法廷モノと比べるとかなり退屈だったと思います。展開にメリハリもなく、ハラハラもしません。
ただ、これは今回の作り手が下手だったからというのではなく、明らかにこの題材の裁判自体が論点もないほどに中身がないせいです。「心や魂を奪って支配した」なんて立証しようがないですし、どう反論すればいいのかもわかりません。
あげくにエットレ自身が「私は支配されていません」と証言するのですが、それすらも「これは支配されているからこういう発言をしている。つまり支配されているのは本当だ」と有罪の証拠扱いになります。
もう何を言っても絶対に有罪ルート。異端審問です。
裁判の体裁すらなってない酷い有り様をひたすら見せられたら誰だって絶望ですよね…。
無関心が同性愛を無かったことにする
『蟻の王』ではこの裁判が始まる中、「l’Unità」という「イタリア共産党(PCI)」の機関誌の記者であるエンニオが取材を開始し、この裁判の問題性を世間に伝えようとします。
作中ではイタリア共産党もこのアルドの同性愛を冷たく扱い、「invertito」(=性的倒錯者)として世間の認識どおりな感じで描かれていましたが、実際はもうちょっと組織としてこのアルドを支援する方向に寄っていたようです。
どっちにせよこの映画で描かれているのは世間の無関心の恐ろしさです。
一部の進歩的な若者は抗議活動をしていましたが、大多数は興味がありません。「なんかまたスキャンダルなことがあったらしいね」くらいの漠然とした理解しかしておらず、全然自分事でも何でもないのです。
正直、この「plagio」ってあらゆる関係性を弾圧する材料にできるので、同性愛者だけの問題でもない、全ての国民にとって他人事じゃないと思うのですが、そういう発想をしていません。メディアがその危険性を訴える仕事を果たすべきなのですが、それもない。つい20年前までファシスト政権に支配されていたのに…。いや、こういう社会だからファシストに乗っ取られたのか…。
ちなみにこの「plagio」はアルドが有罪判決を受けた唯一の人物になった後、1980年代初期に違憲として廃止されましたが、その違憲の議論が巻き起こったのは、司祭が未成年の子ども相手への行動で罪に問われた事件がきっかけでした。同性愛者には無関心なくせに、宗教関係者になると急に関心を持って合法性を心配するなんて、あからさまですね…。
もちろんあのアルドも、エットレは20代の若者だったとは言え、教え子との関係となるとその不均衡な構造は批判されて当然だと思います。でもこんな強引で滅茶苦茶な裁判が成り立っていい理由になりません。無論、エットレにあんな拷問をした奴が絶対に懲役刑を受けるべきですよ。
イタリアは2023年時点でもまだ同性同士の結婚が異性愛カップルと対等には法的にできません。2023年3月にイタリアの議員でLGBT権利運動にも熱心な“イヴァン・スカルファロット”が同性婚の実現に向けた法案を提出しましたが、とくに進展はありません。ピュー研究所によれば2023年の調査で、イタリア人の74%が同性結婚を支持しているとの結果がでたそうですが、それでも実現しないのは政治の無能さなのか、支持しても実現に動くほどの大衆のやる気はないのか…。
『蟻の王』を見ていると日本とそっくりだなと思うのです。今の日本も同性同士の性的関係を違法とする法律はありません。でも同性同士の結婚はできない。そして世間は政治を変えるほどの関心を持っていない。結果、当事者は苦しみ続ける…。
これでは同性愛は無かったことにされているのと同じです。「同性愛? 多様な愛だね。わかるよ。大切だね」…そう言いつつ、社会を変えることに協力はしない。これって消極的に踏みにじっているのも同然の行為ですよ。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 70% Audience –%
IMDb
6.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
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・『TAR/ター』(女優賞)
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作品ポスター・画像 (C)Kavac Srl / Ibc Movie/ Tender Stories/ (2022)
以上、『蟻の王』の感想でした。
Lord of the Ants (2022) [Japanese Review] 『蟻の王』考察・評価レビュー