新世代ファイナル・ガールがまた羽ばたく…映画『テリファー2 終わらない惨劇』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2022年)
日本公開日:2023年6月2日
監督:デイミアン・レオーネ
ゴア描写 恋愛描写
テリファー 終わらない惨劇
てりふぁー おわらないさんげき
『テリファー 終わらない惨劇』あらすじ
『テリファー 終わらない惨劇』感想(ネタバレなし)
新世代ファイナル・ガールの飛翔
殺人鬼が人々を襲いまくる「スラッシャー」のジャンルには「ファイナル・ガール(final girl)」という定番の概念があります。これは“キャロル・J・クローバー”が1992年の著書「Men, Women, and Chainsaws: Gender in the Modern Horror Film」で提唱したものです。
「ファイナル・ガール」とは何かと言えば、説明自体は簡単で、要するにその物語の中で最後まで生き残る若い女性のことです。この手のスラッシャーではどんどん登場人物が殺されて死んでいくのですが、なぜかひとりの若い女性が生き残るというのがお約束になってきました。
初期のファイナル・ガールとしては、『暗闇にベルが鳴る』(1974年)のジェス・ブラッドフォードや、『悪魔のいけにえ』(1974年)のサリー・ハーデスティが挙げられますが、その後も、『ハロウィン』(1978年)のローリー・ストロード、『エルム街の悪夢』(1984年)のナンシー・トンプソン、『スクリーム』(1996年)のシドニー・プレスコットなどなど。
基本的にファイナル・ガールには一定の特徴があると言われ、多くが物語上で純潔を維持します。性的関係を持たず、アルコールやドラッグに溺れず、そうした暗黙の道徳的優位性によって救われていると解釈できます。別の見方では、このファイナル・ガールは主に男性観客に都合よく神秘化されて消費されやすい純真なヒロイン像と言えるかもしれません。
『ファイナル・ガールズ 惨劇のシナリオ』(2015年)みたいにその概念自体をネタにする映画も生まれています。
そんなスラッシャー界のファイナル・ガールですが、最近は新世代へとチェンジし、表象の在り方にも変化が訪れ、なかなか面白いことになってきています。
『ハッピー・デス・デイ』(2017年)のツリー、『X エックス』(2022年)のマキシーン、『スクリーム』(2022年)のサム…。
新世代ファイナル・ガールとして近年颯爽と登場したいずれの女性たちも、従来のステレオタイプを打ち破る活躍を見せています。
そしてもうひとりの見逃せない新世代ファイナル・ガールが羽ばたきました。そのお披露目の場となった映画が本作『テリファー 終わらない惨劇』です。
これは2016年に公開された『テリファー』の続編。まずこの『テリファー』がなかなかに稀有な作品で、内容としてはハロウィンの夜にピエロの扮装をした連続殺人鬼「アート・ザ・クラウン」が人を残酷に殺しまくるという、それだけ切り取れば普通のスラッシャーです。
しかし、この『テリファー』は完全に自主制作映画で、キャリアもほぼない“デイミアン・レオーネ”が監督・脚本・製作・編集をやって創り上げています。それでも非常にクオリティが高く、というのも“デイミアン・レオーネ”自身が独学で特殊効果・特殊メイク・特殊造形を身につけた人だそうで、本作の盛沢山なゴア描写は自主制作とは思えないほどに高品質。
さらにこの作品の肝となる「アート・ザ・クラウン」の存在が素晴らしく、終始パントマイムし続ける徹底さと意表を突く演出の数々が、観客の目を飽きさせません。
残酷描写は凄まじく、猟奇的で嗜虐的なスナッフ・フィルムのようなものなので、相当に見る人を選ぶのですが、決して残酷ありきの映画ではないです。「全米が吐いた!失神者続出」というチープな宣伝で作品の期待値を落とす必要はありません。
そのカルト映画化した『テリファー』の成功の血をすすって、2作目として再出現した『テリファー 終わらない惨劇』。映画時間も1作目の84分から138分と大ボリュームに増量しつつ、注目はやはり2作目で初登場する新しいファイナル・ガール。いろいろな海外のホラー批評で言及されるほど、ジャンルのアップデートを感じさせるニュー・アイコンとなりました。
ということで『テリファー 終わらない惨劇』はスラッシャー映画の歴史の変化を目撃するという意味でも無視できません。目だけは潰されないようにね。
『テリファー 終わらない惨劇』を観る前のQ&A
A:前作の『テリファー』を鑑賞しておくと物語により入り込めますが、必ず観ておくことが必須というほどではありません。
オススメ度のチェック
ひとり | :ホラーファンは要注目 |
友人 | :趣味に合うなら |
恋人 | :見る人はかなり選ぶ |
キッズ | :R18+です |
『テリファー 終わらない惨劇』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):惨劇の終わりか、新たな活劇の始まりか
とある店。しかしこの夜はもう閉店です。なぜなら店主は瀕死だからです。首から派手に出血した男は警察に電話しようとしますが血を吐いて声はだせません。その傍でこの惨状を生み出した血塗れの「アート・ザ・クラウン」は血で鏡に「ART」と満足そうに書きます。
アート・ザ・クラウンは受話器を置き、男を殴り殺します。そして目玉をほじくり出し、自分の目にあてて遊び、次に顔面が砕け散るまで殴り続け、脳みそを取り出します。それが終わるといつものゴミ袋を背負って、路地裏から去るのでした。
コインランドリーにやってきたアート・ザ・クラウンは、入り口の傍では男が無防備に寝ているのを無視し、服を脱いで全裸になり、洗濯しだします。しかし、もうひとりの女の子のクラウンに気づき、その子は手を振ってきます。盛大に血を吹き出し終わると、その子は近寄り、顔をいじってきます。それはクラウンにしか見えていない子でした。
1年後、ティーンエイジャーのシエナ・ショーは、ハロウィンのコスチュームの最終仕上げをしていました。天使の戦士というコンセプトで、これは最近脳腫瘍で亡くなった父親が娘のためにデザインしたものです。
今はシエナは母バーバラと弟ジョナサンと暮らしています。ジョナサンはハロウィンでアート・ザ・クラウンの仮装をしたいと考えており、執着していました。ネットで夢中で調べ、犠牲者の女性の情報を収集。マイルズ郡での虐殺のもので、タラとドーンという女性が被害者として記事に載っていました。
シエナは、その夜、ゆっくり眠りにつきましたが、そこで悪夢をみます。クラウン・カフェという撮影場でみんな陽気に歌っており、紹介されてひょっこり登場したのはアート・ザ・クラウンです。歓声に応えるながら、アート・ザ・クラウンはゴミ袋からキャンディなどのスナックをどんどん取り出してきます。
夢の中で、子どもみたいな格好になっているシエナの前に持ってきたのは箱。受け取りを渋りますが押し付けられ、びくびくしながら開けると中には気持ち悪いグチャグチャしたものが…。
そのとき、アート・ザ・クラウンは銃を取り出して連射し、全員を射殺します。それが終わると、足を撃たれて苦しみ這いずるシエナをよそに、ギターを弾いていた女性を火炎放射器で燃やしだします。
追い詰められたシエナはシリアルの箱から剣を取り出し、炎に対抗。
そこで目を覚まします。天使の羽は炎上しており、母を呼び、急いで消火。キャンドルの火が原因かと母は怒り心頭です。
でもなぜか父親から贈られた剣は灰に埋もれていたものの全くの無傷のままでした。
一方、ジョナサンは学校の廊下でアート・ザ・クラウンを目撃してしまい…。
アート・ザ・クラウンという発明
ここから『テリファー 終わらない惨劇』のネタバレありの感想本文です。
『テリファー 終わらない惨劇』もアート・ザ・クラウンは変わらず絶好調です。1作目で殺されたのはまるで無かったかのように、今作でも楽しそうに人命を弄んでいます。
このアート・ザ・クラウンの魅力は、やっぱりちゃんとパントマイムをし続けること。真似事みたいなものではなく、しっかりプロフェッショナルに徹底しています。やってることは残虐非道ですが、パントマイムとしてのアート性は確かに評価できるし、普通に面白いです。
殺す行為の前振りとなる揶揄いもユーモラスで、個人的には主人公側に反撃されたときのリアクションが結構好き。自分は叫ばず無言で「やられた~」とパフォーマンスする。あれはあれで「こうやって攻撃したらどんな反応してくるんだろう?」と思わず好奇心をくすぐられるし、「やられる側」になっても面白い殺人鬼というのはちょっとズルいくらいですよ。
このキャラを発明しただけで『テリファー』シリーズは独創性を勝ち取れています。
そのアート・ザ・クラウンを見事に怪演したのは、これまでは声優などの仕事をしてきた“デイヴィッド・ハワード・ソーントン”。完全に自分の代表作を獲得しましたね。まあ、“デイヴィッド・ハワード・ソーントン”自身は殺人シーンでリアルな死体や内臓相手にいっぱい演技して、本気で気持ち悪くて滅入ったようですけど…(メンタルヘルスをお大事に)。
そんな本作の殺人シーンですが、今回もエグイものだらけ。最悪に酷いのは、シエナの友人のアリーの惨殺かな。あれはもう拷問…。ただ、考え方を変えると、あの長めのシーンをよく特殊造形で作り上げましたよ。相当に手間がかかっているはずです。
暗い画面とかにせずに明確にハッキリその造形も見せてくれるのは、作り手の芸術的な自信あってこそ。
アート・ザ・クラウンはその肩書のとおり、殺人をアートとして実行しており、それは本作でとくに強調されています。同時にこの映画は特殊造形のアートとしての凄さを示すものにもなっており、アート・ザ・クラウンというキャラクターは“デイミアン・レオーネ”の作家性の投影と受け取れます。
1970年代から1980年代に繁栄を極めたスラッシャー映画は、ちょうどその時期にCGIが急成長して現場の特殊効果がどんどん古いものとして扱われ始めていった時代の(『ライト&マジック』を参照)、いわば“古くなった側”のジャンルです。
アート・ザ・クラウンにはその芸術の執念が蘇るような象徴でもありました。
シエナの覚醒
1作目の『テリファー』のファイナル・ガールはヴィクトリア・ヘイズという女性で、最後は顔面がグチャグチャになっても生存できましたが、殺人衝動に開花するという変貌をみせました。これはこれでファイナル・ガールとしては異彩を放っていたのですが、“デイミアン・レオーネ”監督としてはもっとより良いファイナル・ガールが作れたのではと後悔していたそうです。
そこに2作目の『テリファー 終わらない惨劇』で爆誕したのがシエナ・ショー。
シエナはアート・ザ・クラウンと対になるような存在でありつつ、アートをアイデンティティとしているという同質性を兼ね備えています。これまた“デイミアン・レオーネ”監督らしいキャラ作りです。
そのシエナは本作でとても主体的に描かれており、単なるサバイバーではありません。
そして父の芸術性を引き継ぎ、自己実現を開拓する際のビジュアル的な象徴となるのが、あのヴァルキリーみたいなコスチュームです。戦乙女としての対決に特化する姿勢が全面にでていますし、少しパンクな感じもする、そんなデザイン。アート・ザ・クラウンの悪夢の中では児童的なコスチュームにされていたのとは対照的で、10代から大人への自我の確立を表すようなスタイルでもありました。
シエナがあの衣装で弟を守りながら、何度でも蘇るアート・ザ・クラウンに苦戦して、終盤では水中に閉じ込められ、絶体絶命になったとき…。剣が光り、シエナは覚醒します。アート・ザ・クラウンも超常現象的な存在であることは示唆されていましたが、ついにシエナもその領域に到達したような、啓示的なストーリーです。
このシエナの覚醒のストーリーは『プレデター ザ・プレイ』にも通じるものがありましたが…。試練を乗り越えて“何者”かに到達するという、ひとつの英雄譚ですね。
シエナを演じた“ローラン・ラベラ”はこれが長編初主演ながらも最高の役をゲットしましたね。テコンドー、柔術、武術、ムエタイ、ボクシング、キックボクシングなどの格闘技も学んでいるらしく、戦士として納得感のある佇まいだったし…。これは他のアクション系の映画からも声がかかるんじゃないかな。
ラストはアート・ザ・クラウンの首だけをクラウン少女が持ち帰り、そして精神科病院であの1作目のヴィクトリアがなぜかアート・ザ・クラウンの首を出産するという、本作最大の意表を突く意味不明にもほどがある幕引き。そんな「ピクミン」みたいにポコポコ増えるのか…。
ともあれ、この『テリファー』シリーズはすでに3作目も製作中。4作目の構想もあるという話も…。“デイミアン・レオーネ”監督も“サム・ライミ”監督と組んで違った新企画を練っているそうですし、まだまだ新たな才能の血しぶきはあちこちに飛び散りそうですね。
今はフレッシュな新世代ファイナル・ガールの過渡期でもあるので、今後のスラッシャー映画も注目大ですよ。残酷なやつは平気だよという人はぜひ一緒に追いかけていきましょう。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 85% Audience 80%
IMDb
6.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2022 DARK AGE CINEMA LLC. ALL RIGHTS RESERVED
以上、『テリファー 終わらない惨劇』の感想でした。
Terrifier 2 (2022) [Japanese Review] 『テリファー 終わらない惨劇』考察・評価レビュー