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『Married to the Eiffel Tower』感想(ネタバレ)…エッフェル塔と結婚した女性と対物性愛、そしてその後

Married to the Eiffel Tower

その後こそ知ってほしい…ドキュメンタリー映画『Married to the Eiffel Tower(マリード・トゥ・ザ・エッフェル・タワー)』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Married to the Eiffel Tower
製作国:イギリス(2008年)
日本では劇場未公開
監督:アグニエシュカ・ピオトロフスカ

Married to the Eiffel Tower

まりーどとぅざえっふぇるたわー
Married to the Eiffel Tower

『Married to the Eiffel Tower』物語 簡単紹介

そびえたつ橋に熱い眼差しを向け、愛を口にするひとりの女性。この橋のファンではない。橋のマニアでもない。橋に真剣に惹かれているのであった。他にも、エッフェル塔、ベルリンの壁、教会の柵など、さまざまな構造物に愛を示す人たちがいる。オブジェクトセクシュアリティ(対物性愛)とも呼ばれる、人ではなく物(モノ)に愛を捧げる人たちを追う。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『Married to the Eiffel Tower』の感想です。

『Married to the Eiffel Tower』感想(ネタバレなし)

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対物性愛の世界

「対物性愛」という言葉を知っていますか?

「オブジェクト・セクシュアリティ」「オブジェクトフィリア」とも呼ばれたりしています。

世の中には性的指向があり、異性愛や同性愛、両性愛、無性愛(アセクシュアル)などがありますが、これらは基本的に人間を相手にする前提の概念です。こうした「対人」ではなく「対物」を前提とするのが対物性愛で、対物性愛者はモノ(object)に対して性的もしくは恋愛的に惹かれています(性愛や恋愛ではなく他の強い感情的結びつきの場合もあり、実際は当事者それぞれです)。

靴や水などに性的興奮を感じるのは従来からフェティシズムとして扱われてきましたが、対物性愛はそうしたフェティシズムとは別の立ち位置・歴史的経緯でアイデンティティ化したものと言えます。

対物性愛という言葉は1970年代に当事者によって作られた造語であり、1990年代以降にはインターネット上でのコミュニティが作られていて、その最たるコミュニティとして「Objectùm-Sexuality Internationale」(オブジェクトゥム セクシュアリティー インターナショナル)が挙げられます松浦優 2023

90年代までは一部の当事者が密かに仲間内で集まっている感じだったと思うのですが、その状況に変化が起きたのが2000年代。具体的には2008年に対物性愛を取り上げたイギリスのドキュメンタリーが放送されたのが主なきっかけでした。

それが本作『Married to the Eiffel Tower』

直訳すると「エッフェル塔と結婚した」ということですが、作中ではフランスのパリのランドマークであるエッフェル塔に熱い想いを抱く女性を主軸に、複数の対物性愛者が出演していき、その愛する姿が映し出されます。

…と紹介しておいてあれですが、本作『Married to the Eiffel Tower』は当事者からの評価はよろしくはないです。むしろ拒絶されているくらいに低評価と言えるでしょう。「Objectùm-Sexuality Internationale」のウェブサイト内でも非難の文章がハッキリ明記されています。

じゃあなぜ今回はこのドキュメンタリー映画の感想を書いたのかと言えば、そうした当事者の反応も含めて、この本作がもたらした余波をしっかり整理しておきたかったというのがひとつ。本作についてネットで調べてもろくな情報がない(たいていは差別や偏見に満ちたものばかり)ので、もう少し適切な情報を用意したいと思いました。

そしてもうひとつは、近年もこの本作に出演した方々に関する悪意のあるデマが流布しており、加えて対物性愛も巻き込んだ差別のレトリックも勢いよく蔓延してもおり、それに対抗できる最新の情報をまとめることが狙いにもあります。

また、本作の感想を通して、ドキュメンタリーやフィクション映画などで何かしらのマイナーなセクシュアリティを扱う際、どういったことに気を付ければいいのか…そこも考えてもらえるといいなと思っています。

ということで『Married to the Eiffel Tower』の感想というよりは、本作を土台にした対物性愛に関する簡単な整理といった感じの内容ですが、後半に続きます。

なお、この記事には対物性愛に対する差別的な言説の一部が記載されているので、ご留意ください。

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『Married to the Eiffel Tower』を観る前のQ&A

✔『Married to the Eiffel Tower』の見どころ
★対物性愛を知るきっかけにはなるが…。
✔『Married to the Eiffel Tower』の欠点
☆ドキュメンタリー自体の問題点が多い。

オススメ度のチェック

ひとり 3.0:資料として
友人 2.5:資料として
恋人 2.5:資料として
キッズ 2.5:資料として
↓ここからネタバレが含まれます↓

『Married to the Eiffel Tower』感想(ネタバレあり)

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オブジェクト・セクシュアリティのそれぞれ

ここから『Married to the Eiffel Tower』のネタバレありの感想本文です。

『Married to the Eiffel Tower』は複数人の対物性愛者を取り上げています。

エッフェル塔に愛を捧げて名前まで変えた「エリカ・エッフェル(Erika Eiffel)」。ベルリンの壁への情熱を語る「エイヤリータ・エクロフ・ベルリンーマウアー(Eija-Riitta Eklöf Berliner-Mauer)」。教会の柵に夢中になる「エイミー(Amy)」

本作はとくにエリカ・エッフェルを軸にしており、日本刀に始まり、ゴールデン・ゲート・ブリッジ、そしてエッフェル塔と、彼女の愛の遍歴が示されていきます。

その中で、エリカ・エッフェルのアーチェリー選手としての経歴など、各個人のバックグラウンドも少し触れられるという構成です。

ただ、正直、ドキュメンタリーとして中身のあるものだとはお世辞には言えないかなと思います。というのもこの本作は各当事者の様子を淡々と映してはいるのですが、対物性愛を多角的に掘り下げているわけでもなく、単に眺めている感じの内容なんですよね。

例えば、歴史の観点で掘り下げるとかやろうと思えばできるわけじゃないですか。『プライド』みたいに当事者運動の視点で扱ってもいいです。

差別や偏見の現状、もしくは対物性愛者でいることの困難なんかを整理することもできるはずです。

私がパっと思いつくのは、作中でもゴールデン・ゲート・ブリッジやエッフェル塔など公共物的なランドマークを愛の対象にする当事者が映っていましたが、これってなかなか苦労が多いだろうなということ。ゴールデン・ゲート・ブリッジって実は自殺の名所でもあって、現在は夜間の歩行者制限やパトロールで念入りに対策が施されていますし、エッフェル塔だってつい最近もテロ事件があったりで警戒は厳重になりやすいエリアです。そういう場で「不審な行動」をとればすぐさま目をつけられます。だからこれらのモノを愛する対物性愛者は近寄るのも大変で、関係を表現しづらいですよね。

本作は2008年時点のドキュメンタリーですけど、そういうことも当時でも語れるだろうに…。

別に本作は露骨に悪意のある作品ではありません。よくある差別主義者や極右論者が制作したプロパガンダ・ドキュメンタリーみたいな直球で酷いやつとは違います。

けれどもじゃあ安心…ということにはならないのが世の常で…。

『Married to the Eiffel Tower』の監督はポーランド出身の“アグニエシュカ・ピオトロフスカ”という人なんですが、この監督はこれまで、人生や著作の真実性が疑われたまま自死した小説家のイェジー・コシンスキ(ジャージ・コジンスキー)を主題にした『Sex, Lies and Jerzy Kosinski』(1995年)や、重婚の詐欺師として有名なオリバー・キリーンを扱った『Conman With 14 Wives』(2006年)など、雑に評するならセンセーショナルな人物を扱いがちなんですね。

なのでこの『Married to the Eiffel Tower』も淡々としながらも、やっぱり当事者を奇異の目で見ているという姿勢が如実なんだと思います。それが当事者の反発を招く大きな一因でしょう。

もちろん『Married to the Eiffel Tower』を全否定するつもりはなく、本作を観て「自分も対物性愛かも…」と気づけた人もいるかもですけどね。

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そしてその後①:異常者とみなす眼差し

『Married to the Eiffel Tower』の問題点をもう少し具体的に探ると、何よりも対物性愛をまるで精神疾患そのもの(もしくはその隣接した概念)のようにイメージさせかねない雰囲気を漂わしていることです。

実際、本作の感想をネット上でざっくりと調べると、「この人たちは明らかに性的倒錯だ」「精神に問題を抱えているからこうなんだ」というようなコメントが平然とでてきます。

作中では対物性愛は精神疾患だと明言していません。でも匂わせるような紐づけを助長する材料を与えていて、例えば、紹介される当事者が「性的暴行を受けた経験がある」とか「家庭の不和を抱えている」とか、そうしたトラウマに関する背景を小さく取り上げています。

因果関係は示されていないのですが、こうやって2つの物事を何気なく並列すれば、視聴者は安易にそれらをセットにしてしまいますよね。

そもそも本作は取り上げている当事者がみんな女性だということもあって、典型的な「少しでも規範的ではない女性をヒステリーなどと見なし、精神病棟に送り込んできた」という歴史となんだか重なるような構図になってしまっています(『社会から虐げられた女たち』などを参照)。

作り手は無自覚かもしれませんが、本作自体に女性差別的な空気が充満している印象は否めません。

あらためてハッキリ明示しておきますけど、対物性愛は精神疾患ではありません

「性的嗜好」や「フェティシズム」という概念でさえも、過去には「疾病及び関連保健問題の国際統計分類(ICD)」にて「性嗜好障害(disorders of sexual preference)」としてまとめられていたこともありましたが、現在の「ICD-11」では「パラフィリア症群(Paraphillic Disorders)」に整理され直され、「フェティシズム」のような用語は消えました太田 2022。そしてWHOは「個人的な機能障害を伴わない“社会的逸脱”または”葛藤だけのもの”は精神疾患に含めない」という方針を示しています(太田 2022)

だから単にモノを愛してますというだけなら、現代の医学では全く精神疾患としては扱われません(医療現場レベルでは偏見は残っているでしょうが…)。

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そしてその後②:繰り返される嘲笑とデマ

『Married to the Eiffel Tower』は2008年の作品ですが、2020年代以降もたびたび話題になり、残念ながら良い言及ではありません。

2023年には「エッフェル塔と結婚した女性が離婚して、フェンスと関係を持つようになった」という情報がSNSで拡散しました。似たような情報は2022年にも一部メディアで記事化され、定期的に流行っています。

これに関してファクトチェックサイトである「Snopes」がわざわざ真偽を整理してくれています。

そのファクトチェック内容をあらためて説明すると、この「エッフェル塔と結婚した女性が離婚して、フェンスと関係を持つようになった」という話は偽りデマです。

とくに「フェンスのために離婚した」という部分は完全に真っ赤な嘘で、本作の映像を悪用したでっちあげです。

根本的な話で言えば、エリカ・エッフェルは法的にエッフェル塔と婚姻関係を結んだわけではありません。現状、モノと法的婚姻はできないからです。なので離婚もしようがありません。

「Snopes」の取材にエリカ・エッフェル本人も回答しており、「メディアによる事実の歪曲」だと再度説明しています。現在、エリカ・エッフェル本人は自身の対物性愛の関係について詳細な言及を避けており、静かに過ごしたい気持ちを述べています。

とにかくこれらの陰湿なデマは、「対物性愛なんてこの程度のザマだ」と嘲笑う目的なのが見え見えであり、ドキュメンタリーで好奇の目にさらされた当事者はこうして15年以上経っても苦しむことになる現実を浮き彫りにしました。

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そしてその後③:他の差別への武器に悪用される

これだけ残念な「その後」を嫌になるほど説明しましたが、まだ残念な事態は上書きされています。

こうしたマイナーなセクシュアリティ性にまつわるコミュニティというのは、見世物化されやすいですが、それで終わらず、他の対象への差別のために武器に利用されることがあるのです。

現在、攻撃されているのが「LGBTQ」…とくにトランスジェンダーです。

攻撃の際に使われるレトリックはワンパターンで、「トランスジェンダー(もしくは同性愛)なんて認めたら、○○(ここにはマイナーなセクシュアリティや性にまつわるコミュニティの具体例が入る)も認めることになるぞ!」というもの。

例を挙げれば、「同性結婚がOKなら、車と結婚するのもOKになるんですか!?」みたいな嘲笑です。

エリカ・エッフェル本人も言ってますが、大方の対物性愛者は「モノとの結婚を法的に認めろ」と訴えていません。むしろ法的かどうか問わず、個人的で精神的な深い結びつきを大切にしようという姿勢です。対人性愛ばかりを標準にせず、この対物性愛を過小評価しないで…という立場です。

嘲笑者は対物性愛をLGBTQを否定するための武器に使っているだけです。

近年は対物性愛以外にも、このLGBTQ差別のために武器化される存在がいくつもあります。

代表的なのが「ファーリー(furries)」。動物の着ぐるみなどでコスプレしてもうひとつの自分の在り方を楽しむコミュニティですPinkNews。最近の反トランスジェンダーの人たちは、「ジェンダー・アイデンティティなんて認めると、こんな動物を自認する輩もでてくるぞ!」と騒ぎますThem。実際はファーリーの人たちは動物を自認しているわけではありません。

類似の事例として、「ナイア・オオカミ(Naia Ōkami)」も挙げられます。ナイア・オオカミはトランスジェンダー女性なのですが、一方で非常に大のオオカミ好きで、「身体以外は私はオオカミだ」と自負するほどオオカミに身を捧げています。この人物を、極右論者で有名な“マット・ウォルシュ”が反トランスジェンダー・ドキュメンタリー『What Is a Woman?』で悪意をもって取り上げ、「行き過ぎたジェンダー・イデオロギーがオオカミ自認の人間まで生んだ」と主張していました。無論、ナイア・オオカミはジェンダー・アイデンティティと同質的にオオカミを自認しているわけではないですThe Advocate

対物性愛、ファーリー、動物好き…ときて、次は何が武器に悪用されるやら…。

差別者は対物性愛やファーリーなどを故意にLGBTQと同質的に混ざ合わせ、ときに異常者扱いし、ときに攻撃材料扱いし、都合よく弄びます。対物性愛やファーリーなどは、同性愛やトランスジェンダーとはまた違った歴史があり、それぞれが尊重すべき固有の文化がありますが、差別者はそんなこと微塵も気にしていません。

一般的にLGBTQに対物性愛やファーリーは含まれませんが、だからといって連帯していないわけではないです。なぜなら「反差別」で一致できるからです。LGBTQの言葉に包括しなくとも、連帯している者たちはいっぱいあって、その包括外の連帯性もまた非常に大切です。これもインターセクショナリティのひとつの観点でしょう。

話を戻しますが、ドキュメンタリーにせよ劇映画にせよ、マイナーなセクシュアリティや性にまつわるコミュニティをただセンセーショナルに(もしくは面白半分に)扱うというのは、かなり取り返しのつかない被害を当事者に長々と与え続けます。『Married to the Eiffel Tower』はその先例です。

マイナーなセクシュアリティや性にまつわるコミュニティを扱いたいと思った場合、「当事者に取材しました」程度ではやはり危うく、専門家の監修、できれば専門当事者の製作レベルでの深い関与が求められるでしょう。当然、反多様性・反LGBTで使われやすいレトリックに流されず、詭弁ではない明確な「反差別」が前提にあるのは必須です。

『Married to the Eiffel Tower(エッフェル塔と結婚して)』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
?.? / 10
シネマンドレイクの個人的評価
4.0
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関連作品紹介

▼反多様性・反LGBTで使われやすいレトリックを整理する

作品ポスター・画像 Pixabay

以上、『Married to the Eiffel Tower』の感想でした。

Married to the Eiffel Tower (2008) [Japanese Review] 『Married to the Eiffel Tower』考察・評価レビュー