今回は、何かと反LGBTQや反トランスジェンダーの界隈で話題に持ち上がりやすい「動物を自認する人」について整理しています(あくまで既存の知見を整理しているだけであり、独自の持論や新説を主張するものではないです)。
LGBTQは「動物を自認する人間」を生み出す!?
「ジェンダー・アイデンティティ(gender identity)」という言葉があります。日本語では「性同一性」や「性自認」と翻訳されたりもします。
ジェンダー・アイデンティティというのは、出生時に割り当てられた性別や、ジェンダー・ロールとして社会が押し付ける性別らしさは一旦に脇に置いて、「私の性別のアイデンティティはこうなのではないか?」と体感に基づいて自分で熟考し辿り着いた「性別/ジェンダー」のことです。
多くの人は生まれた時に性的特徴に基づいて割り当てられた性別と「ジェンダー・アイデンティティ」が一致します(そういう人を「シスジェンダー」と呼びます)。しかし、中には違う人もいて、一致しない場合は「トランスジェンダー」と呼ばれます。
ジェンダー・アイデンティティはWHOや国連の他の組織など国際的にも認識され、人権として保護されています。一部の人が主張する架空の概念などではありません。
一方で、そんなジェンダー・アイデンティティの認知が広がるにつれ、一部の人の中には「“動物を自認する人”まで現れている!」と主張する声があります。要するに「男性が女性を自認できるなら、動物を自認する人間もでてくる!」と言いたいわけです(なお、そもそもジェンダー・アイデンティティというのは、自称ではないので、男性がその場の勢いや思いつきで女性を自認できるわけではありません)。
先に断言すると、ジェンダー・アイデンティティが「動物を自認する人」を呼び起こすという主張は誤りです(詳細は『「トランスジェンダリズム(性自認至上主義)」とは?【トランスジェンダーと陰謀論①】』で整理しています)
ただ、そんな中で「動物を自認する人」として取り上げられる人たちもいて、そんな人たちのアイデンティティが傷つけられる状態も放置できません。
そこで以降、「動物を自認する人」として取り上げられやすいものを紹介し、それが本当に「動物を自認する人」という認識で正しいのかということも含めて、簡単にではありますが、説明したいと思います。
動物好きとの関連
皆さんの中にも「動物が好き」という人は少なくないでしょう。「犬が好き」とか「猫が好き」とか、好きな動物の種類はいろいろ。愛し方もいろいろです。
「動物が好き」というだけで「動物を自認する人」になるわけがないのは、たいていの人は理解できると思うのですが、残念ながらトランスジェンダーの権利を否定したい人たち(反トランス)は、「動物が好き」という人を「動物を自認する人」として曲解して取り上げたりすることがあります。
その一例として槍玉にあがったのが「ナイア・オオカミ(Naia Ōkami)」という人物です。ナイア・オオカミはトランスジェンダー女性なのですが、一方で非常に大の狼(オオカミ)好きで、「身体以外は私はオオカミだ」と自負するほどオオカミに身を捧げています。名前も日本語の「おおかみ」に由来して名乗っています。
この人物を、極右論者で有名な“マット・ウォルシュ”が反トランスジェンダー・ドキュメンタリー『What Is a Woman?』で悪意をもって取り上げ、「行き過ぎたジェンダー・イデオロギーがオオカミ自認の人間まで生んだ」と主張していました(Science-Based Medicine)。
無論ですが、“ナイア・オオカミ”本人はジェンダー・アイデンティティと同質的にオオカミを自認しているわけではないです(The Advocate)。オオカミが大好きなだけです。
このように「動物が好きな人」は、どういうふうに「好き」を表現していようとも「動物が好きな人」というだけです。それ以上でもそれ以下でもありません。
「ファーリー(Furry)」との関連
動物っぽいキャラの着ぐるみを着ている人たちを見たことはありますか? 何か特定の作品のキャラのコスプレや着ぐるみショーではなく、個人が独自にキャラクターを構築して実践している人を…。
こうした人々、もしくはそのコミュニティを「ファーリー(furry)」と呼びます。
ファーリーの人々は、自分専用の「擬人化された動物のキャラクター」のアイデンティティ(これを「fursona」と呼びます)を自ら持っています。要するにアバターみたいなものです。それはリアルな毛皮や耳や尻尾など精巧な着ぐるみとして表現されることもあれば、バーチャルリアリティーのデジタル空間で表現したりする人もいます。
ファーリーはフェティシズムとみなされることがありますが、それは当事者にとってはステレオタイプな認識で、実際はとても多様です。世界中にファーリーはいて、ファンダムを形成しています。
ファーリーについて知りたければ、英語のウェブサイトですが「Furscience」などが参考になります。「The Guardian」の以下の記事も歴史が整理されていて良質です。
日本語には「ケモナー」という言葉がありますが、ファーリーとは意味している対象は異なります。ケモナーはもっぱらアニメや漫画などの動物キャラを愛好する人たちを指すスラングです。ファーリーの人も動物キャラを愛好することは多いですが、ファーリーは前述したとおり、「fursona」を表現することに特徴づけられます。
そんなファーリーの人たちは「動物を自認する人」なんて単純なものではありません。自分たちが実際の動物であるとは信じているわけではないです(Them)。ファーリーの人たちは「ファーリー」であることにアイデンティティがあり、そのコミュニティに居場所を感じているだけです。
しかし、最近の反トランスジェンダーの人たちは、「ジェンダー・アイデンティティなんて認めると、こんな動物を自認する輩もでてくるぞ!」とファーリーを指さして騒いでいます(Them)。これはモラルパニックまで招き、アメリカでは一部の共和党議員が「猫であると自認する生徒のために学校に猫用トイレを設置している」と主張し、騒ぎが拡大しました(NBCNews)。
当然、そんな目的で猫用トイレを設置している学校は存在しませんし、ファーリーの人たちは動物用のトイレを利用したりもしません。当初は都市伝説みたいなものでしたが、2010年代からデマを真面目に受け取る人が現れたようです(PinkNews)。「Furscience」の“シャロン・ロバーツ”氏も「ファーリーはそういうことをする人間ではありません」ときっぱり否定しています(The Daily Beast)。あえて説明するのもアホらしいですが、ファーリーの人も普通に着ぐるみを脱いで人間のトイレを利用します(「Furscience」はわざわざ「そもそも着ぐるみ状態でトイレするのは物理的に無理だよ!」というジョーク・ビデオを作ったこともあります)。
ファーリーの人々はたびたび極右や保守系の陰謀論の対象として狙われています(Snopes)。この手の虚偽情報は過去にも拡散されており、以前は「ドッグパークを犬と同じ形で利用することが法的に認められた」といったデマが流されたこともありました(Snopes)。
反LGBTQの攻撃の巻き添えをくらったファーリーの人たちですが、ファーリーのコミュニティはLGBTQ当事者の人も多く、LGBTQと連帯する姿勢を見せており、トランスジェンダー差別にも声をあげて反対してくれています(PinkNews)。
「ゼノジェンダー(Xenogender)」との関連
ここからはもっと聞きなれない用語がでてくるので理解が大変かもしれませんが、なるべくわかりやすく説明をするので、どうぞお付き合いください。
「動物を自認する人」として取り上げられやすいものとして、次に挙げるのが「ゼノジェンダー(xenogender)」です。
おそらく大多数の人は(ジェンダーの分野に関心がある人でも)、ゼノジェンダーという言葉は聞いたことがないのではないでしょうか。
「Nonbinary Wiki」「LGBTQIA+ Wiki」などでは、ゼノジェンダーというのは、「一般的なジェンダーとして理解されない概念を用いて創造的に自分のジェンダー・アイデンティティを定める人、もしくはそのジェンダー・アイデンティティ」「人間のジェンダー理解では収まらないジェンダーであり、動物、植物、その他の物など、ジェンダーのカテゴリや階層の他の方法を作り出すことに関心がある」と説明されています。
これだけだと何のことかわからないと思うので、もう少し噛み砕いて解説します。
一般的に、ジェンダー・アイデンティティは「男性」「女性」といった性別二元論で理解されることが多く、そうでなくとも、「男性でも女性でもない中性的な性別」など、依然として既存の性別を軸にした理解が前提にあります。
ゼノジェンダーの人は、一般的なジェンダーとして理解されない概念をアイデンティティとして用います。例えば、無限、虚無、美学など抽象的なものから、宇宙、星などの地球外のもの、猫などの動物、水などの自然、ロボット…他にもいろいろです。ゼノジェンダーの「ゼノ(xeno)」は「異質の」という意味です。
それぞれに「Abimegender」「Aesthetgender」「Aliengender」「Astralgender」「Boggender」「Caelgender」「Catgender」「Cosmicgender」「Egogender」「Gendervoid」「Robogender」などの固有のラベルがあったります。これらを包括して「ゼノジェンダー」とまとめています。
ゼノジェンダーは性別二元論に当てはまらないジェンダー・アイデンティティなので広義の「ノンバイナリー」に含まれますが、ノンバイナリーの言葉を避ける当事者もいます。
ゼノジェンダーの人は、ジェンダー・アイデンティティを模索した結果(人によってはその最中)、シス、トランス、ノンバイナリー、アジェンダーなどのラベルでは自分を説明できないと判断しています。
そして、ゼノジェンダーはニューロダイバーシティ(非定型発達)と関連があるといわれており(LGBTQ Nation)、ゼノジェンダーというラベルを用いるには非定型発達でないといけないというわけではないですが、非定型発達の人たち(“neurodivergent” people; NDs)が用いることがあるラベルであるということを押さえておく必要があります(これを説明するために「ニューロジェンダー(neurogender)」という用語もあります)。
前述したように、ゼノジェンダーの人の中には確かに動物をアイデンティティに用いている人もいます。しかし、これはトランスジェンダーのように「自分の体感する性別として扱われたい」という願望をともなっていません。動物同然に扱われたいわけでも、動物と全く同じく振舞いたいわけでもなく、あくまで既存のジェンダーの概念では説明できないので、「動物」の概念を用いている…というだけです。「語彙のギャップ」…つまりジェンダーに関する特定の体感を定義する自身の単語の欠如を埋めるためだとも説明されることもあります(LGBTQ Nation)。
なのでゼノジェンダーを「動物を自認する人」と安易に説明するのはいささか雑です。
いずれにせよ極めてパーソナルな感覚に基づいたものなので(調査で確認されている当事者の数も非常に少ない)、類型的な説明は難しいでしょう。
すべり坂論法は卑怯です
以上、「動物を自認する人」として取り上げられやすいものを紹介しましたが、いずれも「動物を自認する人」と雑に認識するのは不正確なのがわかったと思います。同時に、上記で紹介したものは全てアイデンティティとして正当で、尊重されるべきものです。
今回は「ファーリー」と「ゼノジェンダー」の2種類を取り上げただけですが、動物を自認する人は存在しないと言っているわけではありません。非人間であると認識する人々を広く含めた包括的な用語である「otherkin」や、地球上に存在した動物であると自認する人々を指す「therians」といった言葉もあり、これらはサブカルチャーとして一部の人々の間で親しまれていると「Them」は解説しています。
反LGBTQや反トランスの人たちは、ジェンダー・アイデンティティの正当性を揺らがせるために、「動物を自認する人」というセンセーショナルな響きを持つ話題をふっかけて、「あれ、性自認ってヤバイものなんじゃないの?」という疑念を知識の乏しい世間に持たせようとしてきます。
これには「動物を自認する人」だけでなく、「年齢を自認する人(反トランスはこれを「トランスエイジ」と呼ぶ)」、「人種を自認する人(トランスレイシャル)」といった他の話題が連なることがあります。どちらにせよ手口は同じです。
このジェンダー・アイデンティティを“疑わしいもの”として中傷する定番の手口は「すべり坂論法」という差別レトリックです(Indiana Daily Student)。「Aをしてしまえば、次はBが起こるに違いない。だからAはするべきではない」というもので、実際はAとBに因果関係はありません。また、「燻製ニシンの虚偽」と呼ばれる「重要な事柄から受け手の注意を逸らそうとする」というレトリックとも同一で、無関係な話を延々と展開するやり方はとくに「チューバッカ弁論」とも呼称されています。
差別に使われやすいレトリックは以下の別の記事でも解説しています。
反トランスの人たちはこうしたレトリックで当事者や権利運動に従事する活動家を疲弊させ、論点をずらして弄びます。そして、今回のこの記事のように、長々と説明をする労力が生じてしまうわけです。
これからも反トランスの人たちはこの「動物を自認する人はどうなんですか~?」という投げかけをしょっちゅうしてくるでしょう。
そのときは「そうしたレトリックで論点をすり替えるのはやめてください」と毅然と対応するしかありません。
人権はあなたのオモチャではないです。さまざまな人たちを巻き添えにして弄ぶのは卑怯で姑息です。必要なのは、冷笑的な議論や論争ではなく、平等です。
●『「生物学的性別」とは? その意味と定義の歴史、そして性スペクトラム』
●『「ジャンクサイエンス」とは? 陰謀論や差別に使われる科学(?)の実態』
【ネット】
●2017. Did Furries Win the Right to Use Dog Parks Like Real Dogs in Portland? Snopes.
●2022. ‘Furry Protocol’? False Rumors Circulate About Wisconsin Schools. Snopes.
●2022. OPINION: Transphobia is built upon lies and misinformation. Indiana Daily Student.
●2022. Furry Panic Is the Latest Dumb GOP Attack on Public Schools. The Daily Beast.
●2022. What you need to know about xenogender. LGBTQ Nation.
●2022. How an urban myth about litter boxes in schools became a GOP talking point. NBCNews.
●2022. No evidence that U.S. schoolchildren are self-identifying as animals and disrupting classrooms. Reuters.
●2022. In What Is a Woman?, Matt Walsh asks a question, but doesn’t like the answers. Science-Based Medicine.
●2022. Conservatives Are Obsessed With This Lie About Students Identifying as Furries. Them.
●2023. Three Who Were in Matt Walsh’s Anti-Trans Film Say They Were Deceived. The Advocate.
●2023. The truth about furries: Everything you wanted to know about the furry fandom, from LGBTQ+ furries. PinkNews.
●2023. Transphobic hoax about litter boxes in schools for kids who ‘identify as cats’, debunked. PinkNews.
●2024. American Psychological Association takes a stand against bans on gender-affirming care for minors. LGBTQ Nation.
●2024. ‘Why are people always pointing the finger at furries?’: inside the wild world of the furry fandom. The Guardian.
●2024. What Is a Furry? Everything You Need to Know About a Misunderstood Subculture. Them.
●Neurogender. Nonbinary Wiki.
●Xenogender. Nonbinary Wiki.
●Xenogender. LGBTQIA+ Wiki.
●Therianthropy. Fandom.