大砲と男根とリドリー・スコット…映画『ナポレオン』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2023年)
日本公開日:2023年12月1日
監督:リドリー・スコット
性描写
ナポレオン
なぽれおん
『ナポレオン』物語 簡単紹介
『ナポレオン』感想(ネタバレなし)
リドリー・スコットはこう描く
「私の辞書に不可能という文字はない」…本当にそう言ったのかどうかは定かではありませんが、「不可能という語はフランス語ではない」とか「不可能という言葉は愚か者の辞書にしか載っていない」とかいくつかのバリエーションはありますが、格言としてその人物を象徴するものなのは確かです。
誰の言葉か? はい、フランス革命期の軍人である「ナポレオン・ボナパルト」です。
ナポレオンの説明は…要りませんね。わからないならググってください。
映像作品でもそれはもうものすっっごくいっぱい描かれてきました。1927年のサイレント映画の『Napoléon』、1934年の『巌窟王』、1937年の『征服』、1954年の『デジレ』、1970年の『ワーテルロー』、2001年の『帽子を脱いだナポレオン』、2006年の『ナポレオンの愛人』…。そう言えばミニオンも従えていたなぁ…。
いろいろな描かれ方をしてきたものですが、2023年、久々に歴史超大作がドカーンと登場しました。それが本作『ナポレオン』です。
しかし、なかなかに物議を醸す作品となりましたね。でもそれも当然。なんて言ったって監督があの“リドリー・スコット”ですからね。
“リドリー・スコット”お爺ちゃんが、みんなが好きそうなナポレオンどおりの映画を作るはずがありません。実際、本作のナポレオンは大方のイメージに反した人物像に仕上がっています。
フランスの、とくに保守界隈ではこの“リドリー・スコット”監督版『ナポレオン』は大不評のようで、「反フランス的だ!」と文句を言われまくっているそうですが、“リドリー・スコット”監督は気にもせずいつもの荒っぽい口調を変えません。
それにしてもやっぱりナポレオンはいまだに「フランスの歴史上最も誇れる英雄」のトップとしてフランス大衆には認知されているんですね。ナポレオンってコルシカ島の出身で、生まれるほんの少し前はこのコルシカ島はフランス領ではなかったこともあり、生まれた時の名前も「ナポレオーネ・ディ・ブオナパルテ」で、わざわざ後にフランス風に変えたくらいの人間なのに、今ではフランスの象徴として君臨しているというのも変な話ですが…。まあ、これもナポレオンらしいと言えばナポレオンらしい…。
“リドリー・スコット”監督版『ナポレオン』があの英雄をどう描いているのかは観てのお楽しみとして、時代的な部分を説明すると、だいたい1790年代初めから死ぬまでをざっくりと描いています。軍人にもうなっていますね。そしてこれだけの年数を描くので、いくつもの戦いも映し出されます。
戦争描写の映像的迫力は申し分なく、歴史上のあの壮大な戦が堪能できます。大スクリーンで鑑賞してこその臨場感です。
とは言え、この戦場描写においても、一歩引いた目線で描かれており、本作全体がそういう姿勢で一貫しています。なんでも“スタンリー・キューブリック”がナポレオンの映画化を目論んでいて結局は『バリー・リンドン』(1975年)を作ったのですが、本作もああいう感じでいこうという狙いがあるようです。
そんな“リドリー・スコット”監督の自己満足な『ナポレオン』におカネをだしてくれたのは「Apple」でした(配給は「ソニー」)。2023年の「Apple」は『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』といい、攻めてきているな…。
“リドリー・スコット”監督版『ナポレオン』で堂々と主演を務めるのは、『グラディエーター』でも共に監督と仕事をした“ホアキン・フェニックス”。『ビューティフル・デイ』『ジョーカー』と続く最近の“ホアキン・フェニックス”らしい、空虚に彷徨う存在感を披露しています。
共演するのは、『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』やドラマ『ザ・クラウン』と多方面で活躍する“ヴァネッサ・カービー”。
“ヴァネッサ・カービー”はナポレオンの妻であるジョゼフィーヌ・ド・ボアルネを演じるのですが、本作『ナポレオン』はこの夫婦関係の歪な揺らぎをひとつの主軸に展開していきます。
他の俳優陣は、『モーリタニアン 黒塗りの記録』の“タハール・ラヒム”、『テトリス』の“ベン・マイルズ”など。
約158分の大作ですが、これでもナポレオンの人生や功績の3分の1すらも描かれていませんし、大幅に脚色されて史実どおりではない個所もいくつもあります。この映画で歴史の勉強ができるかというと、ちょっと非説明的で、なかおつ視点が冷めているので、あまり良い教材ではないと思いますが、雰囲気だけは浸れるんじゃないでしょうか。
『ナポレオン』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :じっくり向き合って |
友人 | :歴史語りを |
恋人 | :恋愛気分ではない |
キッズ | :やや長すぎるか |
『ナポレオン』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):大砲を撃てば民衆は沸き立つ
1793年、フランス国王ルイ16世の王妃であったマリー・アントワネットは華やかな人生を失い、今まさに断頭台に連行されるところでした。フランス革命は既存権力に鉄槌を下しました。その瞬間を見ようと、密集した観衆はブーイングし、アントワネットにモノを投げつけています。そして淡々と斬首され、生首を掲げられ、観衆は勢いづきます。
ナポレオン・ボナパルトは観衆に混じってそれをじっと見つめていました。
一介の若い陸軍将校にすぎないナポレオンでしたが、軍人のポール・バラスはナポレオンにトゥーロン攻囲戦を指揮させることにします。
南フランスの港湾都市トゥーロンはフランス王党派を支援するグレートブリテン王国(イギリス)とスペインらの軍隊に支配されてしまっており、これを制圧するという大役です。
ナポレオンにとって武器になるのは砂埃を被った大砲。周囲を歩き回り、その大砲を設置する最良の場所を見定めます。そして、夜間、激戦が始まり、見事にイギリス船を撃退することに成功します。こうしてナポレオンの実績が増えました。
一方、フランス国内では混乱が悪化し、実権を握って独裁を強めるマクシミリアン・ロベスピエールは反発に遭い、追い詰められます(テルミドール9日のクーデター)。そして自殺を図るも失敗し、最後は処刑されました。
次に1795年、パリにおいて王党派の蜂起(ヴァンデミエールの反乱)が起こった際、またしてもナポレオンはポール・バラスからこの鎮圧を命じられます。
そこでナポレオンは大胆にも市街地で一般市民に対して大砲を撃つという戦術を用い、その恐れしらずさは世間に広まっていきます。
そんな中、ナポレオンは貴族の未亡人ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネにパーティーで出会い、やがて2人は結婚します。互いに体を交えますが、2人の間に子どもができることはありませんでした。
ナポレオンは軍人として駆け上がっていきます。今度は1798年にオスマン帝国の支配下にあったエジプトに手を伸ばすことに決め、ここでも再び勝利を収めました。
しかし、軍事の面では好調でしたが、ジョゼフィーヌとの夫婦関係は全く上手くいきません。仕事中にジョゼフィーヌが別の男と交わったと聞いて急いで帰国。彼女と面と向かって話すもこちらは思うようにいかず…。
それでも民衆には人気です。ナポレオンはクーデターで軍隊を打倒し、統領政府を樹立して自ら第一統領(第一執政)へと君臨しました。
ナポレオンは止まりません。攻める相手がいる限りは…。
ナショナリズムは虚しい
ここから『ナポレオン』のネタバレありの感想本文です。
“リドリー・スコット”監督版『ナポレオン』は、ナポレオンがマリー・アントワネットの斬首を見つめるシーンから始まります。この出来事は史実ではありません(アントワネットが斬首になったのは史実だけど、その場にナポレオンはいなかった)。それでもあえて冒頭に描いたというのはそれだけ作り手が入れたかった要素なんでしょう。
フランスのかつての独裁者は煌びやかな富でもって成り上がり、そして失墜しました。ナポレオンは同じ道に進むまいと心に留めたはず。ではどんな道で頂点を目指すのか…。
なお、アントワネットを踏み台に次の独裁者が飛び立つ…という始まり方は『伯爵』でもやってましたね。この導入、流行ってるな…。
ともかく本作のナポレオンは、「トゥーロンの戦い」(1793年)、「ピラミッドの戦い」(1798年)、「マレンゴの戦い」(1800年)、「アウステルリッツの戦い」(1805年)、「ボロジノの戦い」(1812年)、「ワーテルローの戦い」(1815年)と、戦に全身全霊を注いでいきます。
でも本作においては、ナポレオンはよく言われがちなカリスマ性あふれる偉人とはズレた人物です。知的な戦略家でも雄弁な指導者でもない。どちらかと言えば、虚しく戦っています。なのでこの映画自体もナポレオンの退屈そうな気分に染まっている感じです。
これはナポレオンが確立したと言える「ナショナリズム」への批判性を感じます。
アントワネットのような富をぶら下げるだけの人間に大衆がなびくことがなくなり、ではナポレオンはどうやって大衆の支持を得たか。それは「戦争する、侵攻する、征服する」…つまり派手に戦っていくことで大衆を熱狂させるという世論攻略術でした。
このナポレオンが有効性を証明したナショナリズムは、フランスだけでなく、ヨーロッパ各国にも浸透し、それは為政者の得意技となっていきます。
今もアメリカや日本にだってこのナショナリズムは浸透しています。2023年に起きている「ウクライナとロシア」や「イスラエルとハマス」のような争いもナショナリズムが大衆を熱狂させているのは承知のとおり。こんな簡単に人の感覚を麻痺させ、夢中にさせるものは他にないでしょう。戦争への陶酔が国家を作ってしまう…。
本作はとくにフランス保守派界隈では「反フランス的で、親英的だ」と文句を言われているようですが、私に言わせればそれどころではない「反ヨーロッパ」的だと思います。ナショナリズムを生み出してしまったヨーロッパの罪…それを直視させるような。
本作のナポレオンはこのナショナリズムで成功するのですが、しかし自分自身は満たされないです。戦っても戦ってもどうせ終わりは死です。
『ゴジラ−1.0』はナショナリズムの快楽をエンターテインメントに迂闊に落とし込んでしまっていましたが、本作『ナポレオン』はナショナリズムは虚しく無価値であると批判的に突き放していました。真逆のアプローチです。
最終的に本作のナポレオンは「セントヘレナにおけるナポレオン回想録」と後に呼ばれる書物を書き終えてその生涯を終えます。これなんかも、創作物は虚しさが満たされなかった男を慰めるための代物である…みたいな皮肉さが増す演出にも感じます。
ナポレオンにも不可能だったこと
そんなナポレオンにも征服できなかった存在…それが妻のジョゼフィーヌ・ド・ボアルネでした。
ただでさえ戦場でも虚しそうにしているのに、プライベートな場でジョゼフィーヌと一緒だと彼女の主導権をとられ、さらに虚しさが漂っています。性行為時も完全にジョゼフィーヌのペースで、ナポレオンの頑張りもシュールに虚しくジョゼフィーヌは退屈そうです。
戦地で大砲をぶっ放すのが、性生活における欲求不満との対比のようにも見え、さながらあの大砲はナポレオンの男根ですよ。
ナポレオンとジョゼフィーヌは別れてしまいますが、でもその後もやりとりは続き、2人にしかわからない接続性があるかのような描写になっています。出自も全然違う2人ですが、満たされなさという点では同じものを抱えていたのかもしれません。
ジョゼフィーヌも「恋多き女」みたいな雑な評価では片付けられない、すごく複雑な立ち位置にいる女性なんですよね。人間関係ゆえか、歴史的な影響力もなかなかのものだし。
ちなみに実際のジョゼフィーヌはナポレオンよりも年上でした。本作では“ホアキン・フェニックス”より全然若い“ヴァネッサ・カービー”が演じているのがちょっと残念。50代の女優ならいろいろいるだろうに…。
本作『ナポレオン』はジョゼフィーヌは主体的に描かれることはほぼないので、そこを見たい人には不満がでてきます。本作のジョゼフィーヌはナポレオンを批評的に見据える「外からの目」の役割になっています。
ただ、“リドリー・スコット”監督は本作のディレクターズ・カット版の制作にノリノリなようで、その4時間超えになるものを「Apple TV+」で配信するつもりのようです。そのディレクターズ・カット版ではジョゼフィーヌの描写が増えるそうなので、そちらではまた印象が変わってくるかもしれません。
確かに本作は2時間半に収めるためか、結構ガンガン編集されているんだろうなと窺わせる映像の作りになっていました。撮ったけど使ってない映像も多いんでしょうね。
高齢ながら切れ味衰えない“リドリー・スコット”監督は、『ゲティ家の身代金』『最後の決闘裁判』『ハウス・オブ・グッチ』と、面倒くさい男(もしくはその家族)をここのところずっと描いていますが、次回作は『Gladiator 2』とのことで、またその系統は続行しそうですね。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 59% Audience 59%
IMDb
6.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
リドリー・スコット監督の映画の感想記事です。
・『ハウス・オブ・グッチ』
・『最後の決闘裁判』
・『ゲティ家の身代金』
作品ポスター・画像 (C)Apple
以上、『ナポレオン』の感想でした。
Napoleon (2023) [Japanese Review] 『ナポレオン』考察・評価レビュー