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『私ときどきレッサーパンダ』感想(ネタバレ)…劇場公開してほしかったピクサーの新たな傑作

私ときどきレッサーパンダ

ピクサーの転換点となる新たな傑作…映画『私ときどきレッサーパンダ』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Turning Red
製作国:アメリカ・カナダ(2022年)
日本では劇場未公開:2022年にDisney+で配信
監督:ドミー・シー
恋愛描写

私ときどきレッサーパンダ

わたしときどきれっさーぱんだ
私ときどきレッサーパンダ

『私ときどきレッサーパンダ』あらすじ

カナダ・トロントのチャイナタウンに暮らす13歳の少女メイリン・”メイ”・リーは、伝統を重んじる家庭に生まれ、母親であるミン・リーの期待に応えようと奮闘していた。一方で、両親には理解されないアイドルや音楽も大好きであり、仲のいい親友と戯れる毎日に充実を感じている。そんな中、ミンの前ではいつも真面目で努力家のメイは、ある出来事をきっかけに本当の自分を見失い、予想外の変身を遂げる。

『私ときどきレッサーパンダ』感想(ネタバレなし)

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アニメーション業界は変身するか

アニメーション業界では昔から多くの女性が働いていました。アニメーターなどで多くの女性が雇用され、素晴らしいクリエイティブな才能を持った女性たちが大勢いました。

それにもかかわらず女性がアニメーション制作のメインのポジションにまでキャリアアップすることは極めて稀であり、多くの女性は縁の下の力持ちとして採用されるにとどまり、アニメーション業界の現場はずっと男性主体でした。

世界で最も成功をおさめたアニメーション・スタジオであるディズニーも全く同様の状況であり、これは企業の予算不足などの問題ではなく、完全に雇用における女性差別が原因なのがわかります。

そのディズニーにとって代わる存在として1990年代から台頭してきたピクサーも、その最先端な新しさは各所で評価されるも、やっぱり男性主体というところに変わりありません。

しかし、その状況に(やっと)変化が訪れました。“ジョン・ラセター”といった旧来のトップ陣の交代があったからなのかは不明ですが、ともあれ2022年、ピクサーの劇的な変化を印象付ける映画が公開されました。

それが本作『私ときどきレッサーパンダ』です。

ピクサー最新作の本作の特筆すべき点のひとつが、制作にあたる社内の主要部署のリーダーが監督含めて全員女性だということ。これは異例中の異例だそうです。メイキング映像も配信されているのでそれを観るとわかるのですが、女性ばかりのその制作光景に制作スタッフの女性さえも感激しているのが観察できます。しかも、妊娠中の人もいれば、双子が生まれたばかりの同性パートナーを持つ人もいる。女性というだけでなく多様な女性たちがそこで抑圧なく自由に働いて、好きな創作に打ち込んでいるのです。これぞ表現の自由ってやつじゃないでしょうか。

その『私ときどきレッサーパンダ』の創作を中心で引っ張った“ドミー・シー”監督についても語らないわけにはいきません。“ドミー・シー”は中国生まれのカナダ人の女性(1989年生まれ)であり、2011年からピクサーで働き始めた若手です。『インサイド・ヘッド』『アーロと少年』『トイ・ストーリー4』などのストーリーボート・アーティストを務め、2018年に『Bao』という短編映画で監督デビューしました。

“ドミー・シー”監督はメイキングでもじゅうぶん伝わりまくるのですが、とにかくド直球のオタクガールなんですね。日本のアニメや漫画などの二次創作に囲まれて自身も描きながら暮らす10代だったそうで、今回の『私ときどきレッサーパンダ』もそのオタクっぽさが全開。なにせ主人公はオタクの13歳の女の子ですから。

『私ときどきレッサーパンダ』は制作チームが女性主導であるだけでなく、物語も「女性であること」が主軸になっていて、さながらピクサー版の『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』みたいな、ガルーズパワー&シスターフットで女性の抑圧を気持ちよく吹っ飛ばす、ハチャメチャなエンターテインメントに仕上がっています。こんな物語を待っていた!という人は大勢いたはず。

私もこんなモヤモヤを抱えて10代を過ごしていた、自分の変化についていけない時期があった、周りとどうコミュニケーションをとればいいかわからず困惑していた、親や社会の圧力にうんざりしていた…そういう「10代の女子あるある」をとことん詰めに詰め込んでアニメーションの魔法で大量放出する。13歳の少女を描くエキスパートたちが集結したからこそできた完成度だったと思います。

『私ときどきレッサーパンダ』は個人的にはピクサー映画の歴代ベスト3に入るくらいに大好きになりましたし、これはピクサー映画の転換点になるんじゃないかなとも感じます。

問題があるとすれば劇場公開されなかったことですね。『私ときどきレッサーパンダ』はコロナ禍を理由に『ソウルフル・ワールド』『あの夏のルカ』に続いてピクサー映画3度連続の劇場公開断念(「Disney+(ディズニープラス)」配信)となりました。ピクサーばかりが劇場公開の機会を奪わているので内外で不満が噴出していましたが、これはディズニー首脳陣の決定でしょうし、やはり最後に待ち受ける敵はそこか…。

変わろうとしているアニメーション業界。その変身を私は歓迎します。

オススメ度のチェック

ひとり 4.5:辛い時に元気をもらえる
友人 4.5:悩みを打ち明けられる友達と
恋人 4.5:自分を飾らずに素のままで
キッズ 5.0:子どもに自信を与える
↓ここからネタバレが含まれます↓

『私ときどきレッサーパンダ』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):私はレッサーパンダ?

我が家で一番大切なルールは「親を大事にして敬うこと」メイリン・”メイ”・リーにとってそれが当たり前でした。親は子どものために身を粉にして捧げてくれているのだから、子はそんな親に感謝し、報いなければならない…。

でも13歳のメイはもう気にしません。13歳になってからはひとめなんてへっちゃら。365日24時間やりたいことをやる。ゲームもバッグも自分のスタイル。好きなことをやり、好きなものを持つ。なんたって13歳は大人なのだから(交通局的には大人料金)。

カナダ・トロントのチャイナタウンに住んでいるメイは今日も意気揚々と登校。学校にはミリアム、プリヤ、アビーという最高にイケてる親友たちもいます。

3人の友達はデヴォンというデイジーマートで働くそれなりにカッコいい男子に夢中で、メイは関心ないふりをして呆れます。それよりも「4★TOWN」だ! 5人組人気ボーイズ・グループ「4★TOWN」が目下4人を虜にしており、4タウニーとして忠誠を誓うのでした。

学校も終わり、「カラオケに行こう」とミリアムは誘いますが、メイは「今日は掃除の日だから」と遠慮します。

確かにメイは我が道を行っている。ただどの道を行くのかはママが決める…。

実はメイはまだ母親の言いつけを律儀に守っており、家でもその手伝いに熱心。「これだけ成績が優秀なら将来は国連事務総長ね」と母のミンは娘を溺愛しています。

メイの家は寺を守ってきており、先祖サン・イー赤きパンダの守り神として知られていました。

夜、母とドラマを仲良く見ていると、「4★TOWN」の北米ツアーが決定とCMが流れます。でも母はこのグループに冷たい眼差しを向け、メイはファンだとは言えずに言葉を飲み込みます。

ひとり自室で何気なくデヴォンの絵を描いてしまうメイ。あれ…ベッドの下に潜り込み、妄想がどんどん絵になる…。興奮してきて、筆が進む…! しかし、そのノートをあろうことか母に見られ、母は娘がその男に言い寄られたと勘違いして、店までクレームをつけに行ってしまいます。完全に赤っ恥。

自室で後悔に沈むメイ。「こんなことは二度としちゃダメだ」と自分の軽率さを反省し、母に期待される良い子でいようとします。

朝。目覚めるメイはトイレの鏡で自分を見て、きょとん。でっかいレッサーパンダがいる…というか私だ…。絶叫。あり得ないことが起きている。でもなぜ?

心配した母がトイレのドアを叩きます。「気分が悪いの?…もしかして赤い花が咲いた?」

とっさにメイは「そうかも」と誤魔化しますが、それでも押し入ってくる母に「私は今赤いモンスターだから!」と大声をあげます。しかし母も止まりません。「動揺するのは無理ない」と大量のナプキンをだしてきて、「あなたは女性の第1歩を踏み出した」と勘違いのまま。

隙を見て自室に戻ったメイは、落ち着こうとすると耳が消え、尻尾が消え、一瞬戻ります。でもまた元通り。どうやらリラックスすると戻るらしく、人間に戻ったはいいものの髪は赤いまま。

しょうがないのでニット帽で髪を隠して学校へ。感情を常に落ち着けるように友達の前でも振舞うようにします。

ところが心配性の母が外で教室の自分を監視しているのに気づき、クラス中の関心がそのメイの母に寄せられる中、母が「ナプキンを忘れていったでしょう!」と駆け寄ってきて…。

メイの理性は暴発。デカくて臭くてヘンテコなレッサーパンダの私はどうすればいいのか…。

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少女の思春期あるあるを

そもそもなんでレッサーパンダなのでしょうか。

その理由を監督の“ドミー・シー”は本作のメイキングや「New York Times」や「Los Angeles Times」のインタビューで語っています。

「これは制御不能な赤い巨大なホルモンのクリーチャーであり、魔法のような思春期の変身。赤は生理、もしくは怒っていること、恥ずかしいこと、さらに誰かに対して強く欲情していることを表しています」

『私ときどきレッサーパンダ』の原題は「Turning Red」。これは恥ずかしくなって顔が赤くなることを意味しますが、生理を暗喩しているとも受け取れます。

実際に作中では序盤にレッサーパンダ化して大慌てのメイは母に初潮が来たと勘違いされます。月経は多くの女性が経験するパニックの典型例ですし、他にもいろんな変化が起きます。今作のレッサーパンダ化はそういう少女の思春期の変化そのものを体現しているのでしょう。あれれ、私の身体ってこんな形だっけ? こんな匂いしたかな? こんな色とか変じゃない? そういうことを一度気にし出すともう止まらない…。

『私ときどきレッサーパンダ』によく似たピクサー作品と言えば、ピクサー初の女性監督映画となった『メリダとおそろしの森』が挙げられ、あちらも女性が動物に変身しますし、少女が母の抑圧と向き合い、自分らしさに自信を持っていくというストーリーも共通していました。

『私ときどきレッサーパンダ』はこの「少女の思春期の変化とそれにともなう困惑」をもっと赤裸々にドタバタギャグに変えてしまっており、その潔さがまず気持ちがいいです。こんなふうに月経をタブー視せずに子ども向けのアニメで風刺するのってかなり珍しいのではないかな?(大人向けのアニメならいくらでもあったけど)

ともあれ「少女の思春期の変化とそれにともなう困惑」をこのレッサーパンダ化で表現するアイディアが秀逸で、デザインも絶妙。この可愛いのか可愛くないのかわからない微妙なラインのキャラクターにしているのがいいですね。

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母の呪縛に体当たりで向き合う娘

同じくアジア系を描いて革新的となった『シャン・チー テン・リングスの伝説』は「父の呪縛に向き合う息子」を描きましたが、『私ときどきレッサーパンダ』のメインストーリーにあるのは「母の呪縛に向き合う娘」です。やはりアジア人にとって「家族」とは自分を育むものであると同時に自分を縛り付けてくる概念であり、その二面性が題材になりがちです。

メイの母であるミンもわかりやすいほどに過保護で過干渉な母親像なのですが(“サンドラ・オー”の演技も良かった)、それがメイのストレスになっているのは明らかでもメイ本人は従順になることが正しいと思っている。この痛々しい健気さはアジア人ならとくに身に染みてわかるものですね。

“ドミー・シー”監督が上手いなと思うのは、こういうテーマを極端にギスギスしたものにせず、それでいて問題の本質から逃げることなく、アニメーションとして絶妙にアレンジできること。監督の短編作品『Bao』もその才能が発揮されていて、あちらは「小籠包に命が宿る」という相当に斬新すぎるアイディアで演出していました。

今回の『私ときどきレッサーパンダ』はそれと比べるとだいぶわかりやすくなっており、それでいて終盤は大怪獣バトルを思わせるハチャメチャ展開に突入し、あの祖母含めたおばさんたちまでレッサーパンダ化するくだりは魔法少女モノっぽくもあり、この勢いの良さで押し切る。ちゃんとあの憎たらしい母にガツンと言い放ち、文字どおりアタックを決めるのですから、スカっとします。エレクトラ・コンプレックスを抜け出す物語としてとても健全で清々しかったです。

“ドミー・シー”監督のセンス、今作でバッチリ確定しましたね。

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女オタク人生を謳歌する!

女性キャラのデザインがジェンダーバイアスによって無自覚に均質化しているという指摘は日本海外の作品全体でよく取り上げられることでしたが、『私ときどきレッサーパンダ』はそこも見事にぶっ飛ばしました。

『ミラベルと魔法だらけの家』でも多様な女性キャラが存在していて良かったのですけど、『私ときどきレッサーパンダ』はさらに輪をかけてバラエティ豊か。

あのメイと3人の親友たち。本当に最高のシスターフッドであり、終始「なんていい子たちなんだ…」とほっこりする。とくにあの4人は自分たちがオタクであるということになんら劣等感を感じていないどころか、そこに連帯と解放の基盤があるのがいいんですね。しかも、本作の舞台は2002年。現在の2022年ではない。20年前からこういう絆はあったよと示すのもいい。

アニメーションとしてはかなり漫画チックなオーバーアクション満載で、こんな表現をピクサーはするんだとちょっと驚かされますけど、これがイチイチ愉快で楽しいので、あの4人もずっと見ていられます。オタク黒歴史の定番である親にああいう絵を見られるというエピソードをピクサーで拝める日が来るとは…(ちなみに本作のメイキングでは監督が10代の頃に書いたマルフォイ[※ハリー・ポッターのキャラ]の子どもの妄想絵を親が発掘してそれがカメラの前で披露されるという羞恥状態が鑑賞できます)。こんなオタク濃度が濃い海外の子ども向けアニメ映画は今まであったかな…。

あの4人は40代とか50代とかになってもあのノリでいてほしいなぁ…。

女性主体ということで男性キャラの出番は意図的に最小限に抑えられていましたが、それでも「人にはいろんな一面があるんだよ。メイのこの一面はパパは好きだよ」と、メイがレッサーパンダ化を受け入れるきっかけとなる後押しを父がくれたりと、しっかり機能しているのも良かったし。

パステルカラーな街並みなどのアートワーク含めた世界観も雰囲気が好きでした。中国とカナダの赤色であるレッサーパンダが際立つ背景でしたね。

“ドミー・シー”監督は間違いなくピクサーのスタジオでいずれ中心に立つクリエイターになると思います。その実力は『私ときどきレッサーパンダ』で証明されました。

それにしても『エターナルズ』の“クロエ・ジャオ”といい、二次創作ファンダムでクリエイティブを培ったアジア系女性たちがハリウッドをどんどん変えているんだなぁ…。

『私ときどきレッサーパンダ』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 95% Audience 73%
IMDb
7.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
9.0
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関連作品紹介

ピクサー映画の感想記事です。

・『あの夏のルカ』

・『ソウルフル・ワールド』

・『2分の1の魔法』

作品ポスター・画像 (C)2022 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

以上、『私ときどきレッサーパンダ』の感想でした。

Turning Red (2022) [Japanese Review] 『私ときどきレッサーパンダ』考察・評価レビュー