そしてウヴググググググ…映画『動物界』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:フランス・ベルギー(2023年)
日本公開日:2024年11月8日
監督:トマ・カイエ
性描写 恋愛描写
どうぶつかい
『動物界』物語 簡単紹介
『動物界』感想(ネタバレなし)
フランス大ヒット作はヒトと動物の境を問う
私たち人間はたまに自分たちが「動物」であることを忘れてしまいますが(そして意図的に人間と動物を区別しようとしたがりますが)、ヒトも動物です。それは生物学的に紛れもなく事実です。
人間がもっと動物らしかった頃を印象づけるのが「尻尾」の存在。今の人類には尻尾がありません(尾骨は残っている)。でも昔は、それこそ霊長類の祖先は尻尾がありました。つまり、どこかの時代で尻尾が退化したことになります。大半の現行の哺乳類には尻尾があるのに、人間にだけは尻尾がありません。この特異な形質は一体どのように起きたのか、それは科学でもまだわかっていません。
2024年に「Nature」誌で人間の尻尾の喪失に関する遺伝子を特定したという研究が発表されました(Scientific American)。それによればある特定の遺伝子の突然変異が尻尾の消失をもたらしたようです。
そうやって考えると、ある時代、私たちの先祖の中にふと「尻尾のない奴」が現れたことになります。たぶん「あいつ、尻尾ないぞ」と周囲の「尻尾のあるマジョリティ」から変な目でみられたのでしょうか。その当時はまだ「尻尾のない奴」は突然変異の存在でしかないのですから。いつしか「尻尾のない」ほうが優勢になるまでは…。
今回紹介する映画は、ヒトと動物の境界を問い直し、それが変異によってもし逆転したら?という「if」を問うような作品です。
それが本作『動物界』。良い邦題ですね。
本作は、人類社会の間に謎の突然変異の奇病が蔓延する世界を舞台にしています。それは人間の身体が動物のように変化していくというもの。動物の種類はさまざまで、哺乳類もあれば鳥類であったり、それ以外もありです。それは原因不明で、治療などもできず、その「動物化」に見舞われた人は否応なしに人間と動物のハイブリッドのような見た目に徐々に変化していきます。そして気質も動物的になってしまい、コミュニケーションがとれず、攻撃性が増します。
こういう人間が動物化する現象が起きた世界を描くものと言えば、ドラマ『スイート・トゥース 鹿の角を持つ少年』がありましたが、あちらはまだ子どもでも観られる親しみやすいタッチがありました。
この『動物界』はフランス映画であり、大人向けの社会批評性を全面に出しています。ゾンビや吸血鬼モノの派生形といった感じで、『CURED キュアード』や『ディストピア パンドラの少女』に近いものがあるかな。
また、ポストアポカリプス的にはなっていないというのも『動物界』の特徴です。まだ普通に社会経済も成り立っていますし、日常社会を維持しています。このあたりのタッチはコロナ禍の風景に近く、既視感がありますね。
『動物界』は2023年の本国公開でフランス国内で大ヒットしたそうで、エンターテインメント性も一定の確保があり、いろいろな層に受けやすかったのかもしれません。
セザール賞では、作品賞、監督賞、脚本賞などにノミネートされ、撮影賞、音響賞、音楽賞、衣装デザイン賞、視覚効果賞を受賞。フランスの2023年を象徴する話題作でした。
この『動物界』を監督したのは、“トマ・カイエ”という40代のフランス人。2014年に『
Love at First Fight(Les Combattants)』という作品で長編映画監督デビューを果たし、一気に高評価の注目クリエイターに。2018年には『Ad Vitam』という医療再生技術で老化を克服して命が若返ることができるようになった世界を描いたドラマシリーズも手がけました。今回の『動物界』は長編映画2作目です。
ただ、『動物界』は“トマ・カイエ”発案ではなく、映画学校の学生だった“ポリーヌ・ミュニエ”の考えた脚本が基になっているそうです。
社会風刺と映像表現をどちらも楽しめる『動物界』に没入してみてください。
『動物界』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :作風が気に入れば |
友人 | :社会SF好き同士で |
恋人 | :恋愛要素は薄め |
キッズ | :やや怖い描写あり |
『動物界』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
車を運転するフランソワは16歳の息子エミールを連れて出かけていました。目的は医療センターにいる妻のラナに会いに行くためです。しかし、渋滞であまり前に進みません。エミールは助手席で犬におやつをあげていました。フランソワをタバコを吸い、息子と親子の会話をします。
ところがエミールは車を降りて歩いていこうとします。そのとき、近くのバンから後部扉を突き破って何かが飛び出してきます。それは人のようですが、翼があり、スタッフが取り押さえようとするも軽々と吹き飛ばしてしまいます。そして何か人ならざる声をあげ、走り去ってしまいました。
周囲の人々は多少の反応はしていましたが、騒動が収まるとまた日常に戻っていきます。
施設の待合室で待っていると医者に呼ばれて説明を受けます。現在、この世界では原因不明の突然変異により、人間の身体が徐々に動物と化していく得体の知れない奇病が蔓延していました。しだいに凶暴性を発揮するため、症状に応じて施設で隔離するしかできません。
そしてラナも動物化しているのでした。医者の人いわく、動物化した人々を集めて特定の施設に収容するために移送するらしく、ラナもそのひとりのようです。家族にはどうしようもなく同意せざるを得ません。
狭い病室のベッドに横たわるラナと面会します。大人しく座っており、少し喋れます。でも壁には爪のような傷跡が残っていました。フランソワはエミールに優しく言葉をかけます。ラナは少し体毛に覆われた顔を息子に向けました。
フランソワとエミールはしばらくの仮住まいとなる場所に車を走らせます。森を通り抜けた先にある町で、家は森の中にありました。道中で巨大な壁に囲まれた施設も見えました。
エミールは学校で転入生として紹介されます。フランソワはナイマの経営する飲食店で働くことになりました。新生活です。
ところが問題が起きます。分厚い雲が接近し、その夜から激しい雨と風が吹き荒れました。2人は真夜中に騒がしくて起きますが、エミールは外で何か人影を見たような気がします。
翌朝、倒木などを片付けていると連絡がありました。動物化した人たちを移送中のバスが夜の間に転落事故を起こし、動物化した人たちが何人か逃げ出してしまったというのです。
その中にはラナもいました。現場は騒然。警察のジュリアは行方不明の人たちの捜索が行われていると教えてくれます。ラナもどこかへ消えたらしく、フランソワとエミールは心配します。
しかし、エミールの身体にも異変が…。
ダイバーシティは異常とみなされる
ここから『動物界』のネタバレありの感想本文です。
『動物界』の世界で起きている「身体が動物化する」という現象は相当に荒唐無稽です。現実にも「尻尾が生えている」とか「体毛が全身でびっしり毛深い」とか、そうした身体特徴を持って生まれてくる人間は実際にいますが、それはあくまで祖先の霊長類の形質が現れた特殊なケースです。
今回は哺乳類どころか鳥類や爬虫類、節足動物、あげくには軟体動物まで何でもありです。これはもう『スパイダーマン』のヴィラン大集合みたいです。
単純に映像化するとすごくバカバカしい絵面になりかねないのですが、本作は上手くそのフィクションをリアルと馴染ませており、序盤から納得してしまいます。
序盤からわかるのはこの世界では「身体が動物化する」という現象は「奇病」として病理化されているということ。そのため、大半の人は「変な病気に見舞われた人」という認識でしか当事者をみておらず、他者化しています。パンデミックのような急拡大でもないらしく、社会の日常は保たれているので、気にしていません。
要するに「障害者」みたいな扱いなんですね。本作はそのテーマをより示唆するかのように、エミールの転校先でニナという生徒が登場し、彼女はニューロダイバーシティ(ADHD)として描写されています。つまり、非定型的であるゆえに「異常」扱いされている存在と同質じゃないですかという実態を映し出しています。
動物化した当事者は凶暴性があると世間では認知されていますが、それも本人がその急激な変化に驚いてパニックになっているだけだったり、会得した人間離れした能力の使いこなしができていなかったり、はたまた強制的な隔離でストレスがかかって防衛行動をとってしまっているだけだったり、よくみると凶暴と簡単に片づけられない背景があるように思います。
しかし、世間はそんな事情をくみ取らないので、安易に「攻撃性が高い」と決めつける。これもニューロダイバーシティ当事者にはよく降りかかる偏見です。
本作はニューロダイバーシティをその文字をいじるようにバイオダイバーシティ(生物多様性)で表現してみせた意欲作なのかな。
自分に近しい見た目の異質者だから…
さらに『動物界』はその「身体が動物化する」現象に見舞われた当事者を他者化するだけでなく、悪魔化することで社会が分断され始めていることを描写しています。
このあたりはニューロダイバーシティ差別だけでなく、性的マイノリティへの差別だったり、人種差別だったり、移民差別だったり、さまざまな排外主義と重ねられるものです。
その反ハイブリッドの人たちが「動物は好きだがハイブリッドは嫌いだ」ということを平然と口にするのが象徴的です。作中では冒頭からフランソワとエミールの家族は愛犬を飼っており、仲がいいです。ヒトと動物、姿も違えば言葉も一緒ではない相手でも融和できる最もわかりやすい事例のはず。なのに動物化した人間には嫌悪感情を剥き出しにする人たちがいるという矛盾。
そこにあるのは「見慣れない他者が怖い」という心理なのか、恐怖や不安を煽られることで対象を過度に危険視する疑心暗鬼なのか、それとも「自分もこうなってしまうのかもしれない」という奥底の戦慄なのか、それはわかりませんが、とにかく一部の人は敵対心を隠しません。
人は最初から全く見た目が違うものよりも、自分に近しい見た目の異質者ほど怖がるのかもしれませんね。『アウト・オブ・ダークネス 見えない影』でも描かれていた心理だけども…。
作中では完全に「狩り」の気分で何も気にも留めていない人もおり、非常に暗い未来を予感させるのですが、まだこの社会はこの差別主義を放置すると大変なことになるという問題を認知していないようです。
本作はポストアポカリプスになる一歩手前の予兆みたいな空気を漂わすのも独特でしたね。
当事者の目線からみる新世界
上記はすべて『動物界』における「身体が動物化する」現象に見舞われた存在を外から見つめる側の視点ですが、「身体が動物化する」現象に見舞われた当事者側の視点も描かれており、それは後半にいくにつれ増えていき、作品の印象さえも変容させていきます。
最初は「身体が動物化する」という未知の現象に対する恐怖が強調されます。完全にボディホラーですね。かなり生々しく、演出も不気味さが際立ちます。
しかし、エミールがフィクスという鳥人間と出会い始めると、雰囲気は変わります。そして空を飛ぶ練習に付き合って繰り返し(ちょっと面白い)、ついに大空を雄大に飛べるようになった瞬間の高揚感。エミールにとっても観客にとっても「ああ、動物になるのも楽しいかもしれない…!」と感じさせる興奮です。
今まで異端視するしかない異常者だった(もしくは可哀想と同情するしかない)存在が、その当事者側の目線を通すことで全く別の印象を与える。その逆転効果をこの映画はしっかり打ち出してくれました。
終盤にはエミールは森の奥深くでほぼ動物化している母と再会し、多種多様な元人間の動物たちの世界に迷い込みます。ずっとこの現象は人間と動物のハイブリッドを生み出すように描かれていましたが、症状が進むと完全に動物化し、人間要素が消えるようです。
それでもこの世界に怖さはもう感じません。それよりも神秘的で、荒んだ人間社会にはない平穏があるような…。
人間が動物化するというと『ロブスター』もありましたが、『動物界』は動物化によりポジティブな味わいを残して去っていってくれます。まだ人間同士である父子の和解もプラスされ、希望を滲ませて…。
エミールがどの動物に身体変化しているのか最後まで描かれないのもいいですね。
『動物界』はあくまでフィクショナルに浮き上がらせたダイバーシティですが、私たちの世界ではすでにいろいろなダイバーシティがあります。それを行き過ぎたイデオロギーだなんだと冷笑せず、あるがままに見つめ直してほしいものです。きっとその先には自分の予想していなかった居場所があるかもしれないですから。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)2023 NORD-OUEST FILMS – STUDIOCANAL – FRANCE 2 CINEMA – ARTEMIS PRODUCTIONS
以上、『動物界』の感想でした。
The Animal Kingdom (2023) [Japanese Review] 『動物界』考察・評価レビュー
#フランス映画 #ニューロダイバーシティ