日本のマイナス点を壊してくれ…映画『ゴジラ−1.0』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本(2023年)
日本公開日:2023年11月3日
監督:山崎貴
ゴジラ-1.0
ごじらまいなすわん
『ゴジラ-1.0』あらすじ
『ゴジラ-1.0』感想(ネタバレなし)
ゴジラに突撃できる監督
2023年も「ゴジラ」が日本にやってくるとは思いませんでした。
個人的には2016年の『シン・ゴジラ』でお腹いっぱいになり、次にゴジラ映画がどんな進化を遂げるのかは確かに楽しみではありましたけど、ハリウッドのゴジラがキングギドラとかコングとボコボコ殴り合っているのをボケっと眺めているだけでもういいかなという…そんな脱力気分でいたものですから。
でもやっぱり作ってきましたね。ゴジラ生誕70周年記念の節目の年、国産の実写作品としては30作目となる『ゴジラ-1.0』です。
とは言え、みんな「正直どうするんだろう?」と思ったはずです。なにせ『シン・ゴジラ』で“庵野秀明”があれだけ尖った作家性を爆発させちゃいました。映画とはそれ1度きりではなく、鑑賞後の余波として後世の作品に対する観客の反応にも影響を及ぼします。『シン・ゴジラ』の公開から7年しか経っていませんし、たいていの観客は『シン・ゴジラ』の鑑賞経験を携えて次の新作を観に行くでしょう。
けれども、今回の重圧にもかかわらず果敢に挑んだのが“山崎貴”監督であると知ると、なんとなく納得です。この監督なら、そんなの突っ切ってしまいそうだなと思うので。
これまでも『SPACE BATTLESHIP ヤマト』(2010年)、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』(2019年)、『ルパン三世 THE FIRST』(2019年)と、ビッグネームの作品を自分流に手を付けることに遠慮無しでしたし。
『ゴジラ-1.0』は戦後の日本を舞台にしており、“神木隆之介”と“浜辺美波”をメインにキャスティングしているせいか、ものすごくビジュアルが「朝ドラ」っぽいのですが、中身はちゃんと「ゴジラ」の王道になってます。
そして『ALWAYS 三丁目の夕日』と『永遠の0』と『海賊とよばれた男』と『アルキメデスの大戦』の要素がしっかり垣間見え、要するに“山崎貴”監督のフィルモグラフィーを一挙集結させた…そんな印象がハッキリ味わえます。間違いなく“山崎貴”監督が作ったなと実感できる出来栄えです。
私なんか鑑賞している間、ずっと「うわ、ここも“山崎貴”監督だ…。ああ、ここにも“山崎貴”監督だ…」と直視は避けられない状況になってましたよ。
つまり、“山崎貴”監督もこの『ゴジラ-1.0』で作家性を思う存分に爆発させましたってことです。
ということで、これ以上書くにはネタバレは避けられないので、残りは後半の感想で。
それにしても『ゴジラ-1.0』(「マイナスワン」と読む)っていう邦題、マイナスなのかハイフンなのか長音符なのかダッシュなのか、判読しづらいなって思っちゃうけど、感想でタイトルを書くときもちゃんと正しく表記できているか不安になってくるな…(校正泣かせだ…)。
『ゴジラ-1.0』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :じっくり堪能 |
友人 | :オタク同士で語り合って |
恋人 | :夫婦愛的要素あり |
キッズ | :戦争的描写あり |
『ゴジラ-1.0』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):戦後の日本を襲う脅威
太平洋戦争末期、日本軍の戦闘機の整備場となっている大戸島に1機の零戦が着陸します。降りてきたのはパイロットの敷島浩一。凸凹の土剥き出しの場所でも着陸させられるほどの操縦の腕前で、実戦経験はまだないですが、技術はじゅうぶんです。
その敷島を海軍航空隊の整備部のベテランである橘宗作とその整備チームが出迎えます。しかし、橘はさりげなく敷島に言い放ちます。この戦闘機にはとくに不調なところは何もない…と。
特攻に向かうはずだった敷島が怖気づいてわざと寄り道してここに来たということを察した橘ですが、それ以上は責めることもなく、「そういう人間がいてもいい」と受け入れてくれました。
自分の行為の正当性に悩む敷島が岸辺で佇んでいると、海面に普通では見られない深海魚が何匹も浮いているのを発見します。
その夜、聞いたこともないような轟音で一同は警戒態勢をとります。米軍の新兵器か…。騒然とする中、明かりに照らされたのは、まるで巨大な恐竜のような生物。それはこの島の原住民に伝わる「ゴジラ」という存在ではないか…。
そう予測しますが、今はそれどころではありません。急いで退避しつつ、対処を考えます。橘は敷島にあの戦闘機の機銃で攻撃してくれと頼み、背中を押しますが、いざ席についた敷島は恐怖で身がすくみ、撃てません。そして敷島以外の整備班は全て死亡してしまいました。
一夜明け、あの怪物も消えたところで、橘は敷島を責め立て、全滅した整備班の家族の写真をその敷島に押し付けて、帰還兵の中へと去っていきました。
戦争は終わり、敗戦となった日本に残ったのは空襲の焼け野原となった街の残骸です。地元に戻った敷島ですが、両親は亡くなっており、近所に住んでいて子を失った太田澄子は特攻隊だったのに帰ってきた敷島を責めます。
こうしてこの戦後の日本で暮らすことになった敷島。ある日、いきなり現れた若い女性に赤ん坊を押し付けられます。その女性は後からまた現れ、その流れで敷島のボロボロな家に棲みついてしまいます。大石典子という名で、この赤ん坊も血縁関係はなく、どこかの孤児だそうです。
3人は家族のような共同生活を送り始め、敷島もそれに慣れていきました。
しかし、貧しさは変わらず、より稼げそうな職として見つけたのが、機雷の除去の仕事でした。
現場に行ってみると、木造の小さな船に何人か待っていました。秋津淸治という威勢のいい中心に立つ男、野田健治という戦時中は兵器開発に関わっていた男、水島四郎という兵士経験のない若い男。
船「新生丸」で沖へと出発して機雷を撤去する日々。おカネも溜まり、大石典子と赤ん坊と一緒に暮らす家も改装できて、順調にみえました。
けれども敷島の心にはあの島での惨劇の記憶が生々しく残っており、悪夢として襲い掛かってきます。
そしてアメリカがビキニ環礁で行った核実験「クロスロード作戦」以降、謎の巨大な生物が海でたびたび目撃されるようになり、それは東京に近づいていて…。
マイナスのゴジラの怖さ
ここから『ゴジラ-1.0』のネタバレありの感想本文です。
『ゴジラ-1.0』は戦後が主な舞台ですが、始まりは戦時中の末期です。ここで結構あっけなくゴジラ(恐竜サイズ)が登場するのですけど、完全に『ジュラシック・パーク』的な描写になっていて、“山崎貴”監督の趣味としてやりたいようにやってましたね。でも人間には噛みついても捕食してなかったから、あのゴジラもマグロとか食ってんのかな…。
この島で主人公の敷島浩一はトラウマを背負い、以降もPTSDのように描かれています。
今回の主人公は特攻隊の責務から逃げたという以上に、性格的にかなり「嫌な奴」で、偶然ですけど同じ2023年公開のこちらも戦時中を描いた“宮崎駿”監督の『君たちはどう生きるか』と重なっている部分があります。物語全編通しても「敷島浩一はどう生きるか」が描かれるわけですし。
そして2回目のゴジラとの接触となる「新生丸」でのシーン。ここは海面から顔と背びれだけがグワーっと迫ってくるゴジラと、それに機雷と機銃で対抗するという戦術的な展開になっていて、アトラクション的な臨場感があり、とても映像的に面白いです。本作で随一のオリジナリティのあるハラハラドキドキが味わえた気がします。
その後の、口の中で機雷爆破しても簡単に再生する能力と、重巡洋艦「高雄」の主砲でも効かずに熱線で爆散させる破壊力を見せつけるシーンも、絶望感がマシマシでいいですね。
そしてゴジラ上陸後の銀座壊滅。やっぱり謎のネオンでギラギラする架空の都市よりも、実在の都市がこうやって破壊されるほうがいいな…。
本作のコンセプトとして、戦後の日本にさらなる惨劇が襲って「ゼロ」から「マイナス」にまで追い込まれるということになっていますが、今作のゴジラはまさしく原子爆弾の具現化で、東京に原爆を落としてみせるのに匹敵する破壊をもたらします。3度目の原爆投下です。
その物語上の背負う役割と、ビジュアルの怖さがきっちり噛み合っていて、“山崎貴”監督が指揮する「白組」の渾身の造形として見事でした。
古臭い男女観、マイナス50点
そんな感じでゴジラの造形はめちゃくちゃ頑張っているのですが、人間の人物造形は案の定というか、“山崎貴”監督がやってしまいがちな、ステレオタイプ全開の古すぎる男女観のオンパレードで…。
つい前作の『ゴーストブック おばけずかん』の感想でも指摘したことがそのまんま当てはまります。
例えば、“浜辺美波”演じる大石典子の、弱った男性(と赤ん坊)を献身的に支え抜くだけの「戦時中のプロパガンダなのか」と思うようなコテコテの女性像と、そこから男性が奮起するためだけに機能する悲劇の舞台装置としてのヒロインの役割とか。
まあ、最後はちゃっかり生存していたというオチになるのですが、あの原爆レベルの爆風を直撃して生き残れるんですから凄いですよね。手足どころか、肌すらも焼けただれていない(まだ“安藤サクラ”演じる太田澄子のほうがボロボロな見た目をしている)。きっと東宝シンデレラ・バリアの効果が発動したんだな、うん。
まだ『シン・仮面ライダー』の“浜辺美波”のほうが個人的にはマシかな…。
一方、男性陣なのですが、『ゴジラ-1.0』はこれがまたどストレートにホモソーシャルで…。
ご丁寧に今作でも、役立たずではない”男を見せる”結末が堂々とフィナーレに用意されており、そうやって主人公が「男になる」ことで感動を与えます。周りの男たちも「早く妻にしろ」「父になれ」「男になったな、よくやった」の大合唱です。
たぶん“山崎貴”監督はこれらを古いとか思ってないでしょうね。むしろ「これは映画的な定番なんだ。だって昔の映画もそうだったし」と思ってそうな…。
でも今回はこれで終わらないから厄介です。
日本男児たちの軍国主義ナルシシズム、マイナス100点
『ゴジラ-1.0』は化石的なジェンダー観を露呈するだけでなく、ここによせばいいのに軍国主義ナルシシズムをトッピングします。
今作ではあのゴジラにどう対抗するかという勝負どころで、旧日本軍の軍人の生き残りたちが招集され、『バトルシップ』的な活躍をみせます。
それだけにとどまらず、軍人に加えて、日本企業が技術協力し、ピンチには民間船が大勢駆け付け、最後のミッションに挑みます。
このメンツが、まあ、「男だらけの大和/YAMATO」で…。副大臣・政務官を初めての「女性ゼロ」でオール男性に揃えた岸田内閣(朝日新聞)と同じアプローチですよ。『シン・ゴジラ』のときはまだ女性がいたのに、リアルの政府に倣って後退させたのかな…。
そして現実では試作機だった「震電」が今作では空を飛んで特攻をみせるという、ミリタリーオタクのためのサービスシーンがフィニッシュでぶちこまれます。男たちみんなスローモーションで絶頂してました。
もちろん、本作は戦争を賛美していません。「犠牲をだす前提の戦争は間違っている」「生き残ってこそ未来がある」…そういう前向きなメッセージが随所にでてきます。
ただ、それは過去の戦争を全肯定はしないけど、全否定もしていない…つまるところ、「戦争の痛みをバネに俺たちは次に進むんだ。そんな俺たちって美しいよな…」っていう新軍国主義を前提にしたナルシシズムでしかないとも思います。PTSDに対するケアのしかたとしても完全に間違ってるでしょう。
とくにこの『ゴジラ-1.0』で一番イラっとするのが、あの野田健治という学者で、最終作戦の発案者ですが、あちらこちら造形が雑すぎるキャラなんですよ。第一、何の分野の専門家なのかも曖昧で、たぶん物理学っぽいですが、ゴジラを深海に一気に沈めれば水圧で死ぬ…みたいな策を提案します。ちなみに、アカボウクジラは水深2900mまで潜れることがわかってますからね(Natural History Museum)。わりと生き物って潜水に適した体を獲得できるのです。野田の奴、生物学を舐めてるな…。科学者キャラをだすときは最低限その人が何の専門分野なのかくらいは設定してください…。
『ゴジラ-1.0』は初代である1954年の『ゴジラ』における戦争への警句(それは核兵器だけでなく軍国主義そのものの危険性も含む)という観点でも大きくテーマ性は劣化しているんじゃないかなと思います。言論統制にだけはいっちょ前に文句言えるのに…それ以外は壊滅的に鈍感です。反戦映画のつもりなのだろうけど、これでは全然反戦になりきれてないどころか、戦争に突き進んじゃってます。
1954年の『ゴジラ』の芹沢大助という科学者が「科学の恐ろしさ」を身をもって教えてくれたことを、『ゴジラ-1.0』は思い出すべきでした。
総括として、『ゴジラ-1.0』は「生き残ってよかったな!」というエンディングでしたけど、私としては「いや、死んでくれよ」って感じでしたよ。この映画が褒め称えているその日本にあぐらをかいている男社会こそゴジラは完膚なきまでに破壊し尽くしてくれないと困ります。だってそれが今の日本をマイナスの状態にさせ、戦争に近づかせているんですから。
最終戦はゴジラがあっけなくあの「男たちの慣れ合い」で粋がる敷島や秋津たちを殲滅し、最後に生き残った大石典子が女たちをかき集めて全く別方向での攻略法を考えるとか(戦後の女性解放運動をなぞって)、そういう展開ならまだ新しかったのに…。
今作のゴジラは、破壊力、足りませんでしたね…。
ROTTEN TOMATOES
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IMDb
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シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2023 TOHO CO.,LTD. ゴジラマイナスワン
以上、『ゴジラ-1.0』の感想でした。
Godzilla Minus One (2023) [Japanese Review] 『ゴジラ-1.0』考察・評価レビュー