2作目はメンタルケアの教科書…映画『インサイド・ヘッド2』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2024年)
日本公開日:2024年8月1日
監督:ケルシー・マン
いんさいどへっどつー
『インサイド・ヘッド2』物語 簡単紹介
『インサイド・ヘッド2』感想(ネタバレなし)
思春期は二次性徴だけじゃない
出生時に割り当てられた性別が自身の体験されるジェンダーと異なる感覚に苦しむ子どもが思春期に突入した際、適切な専門家の診断のもと、性ホルモンを抑制する薬を投与し、二次性徴の発達を遅らせます。この薬は「思春期ブロッカー(Puberty blocker)」と呼ばれています。「Puberty」は「思春期」という意味です。思春期ブロッカーを含むジェンダー・アファーミング・ケアと称される一連の医療ケアは、多くの主流の医学系学会に支持されています。
一方で、反トランスジェンダーの立場に立つ人たちはこの「思春期ブロッカー」を「有害だ」として批判しており、子どもへのケアを禁止しようという動きが政治的にも活発化しています。
そもそもこの「思春期ブロッカー」という通称が誤解を与えるなとも思います。実際のところ、別に思春期をブロックしているわけではないのです。二次性徴の発達を止めるだけ。なので「ホルモン・ブロッカー」のほうが名称としてしっくりきます。反トランスの人は「トランスの子はケアのせいで思春期を経験しなくなる」と思いこみ続けていますが…(PinkNews)。
思春期というのは、体毛が濃くなったり、胸が大きくなったり…そういう二次性徴だけが全てではありません。成長の中である年齢時に経験するあらゆることが「思春期」を構成します。友人との関係の変化、将来への期待と不安など…人間関係や心理変化もまた思春期です。「思春期ブロッカー」を投与された子どもにも、そういう思春期は訪れます。
今回紹介する映画はそんな実は複雑で奥深い思春期の一面をユニークな世界観とストーリーで映像化した作品です。
それが本作『インサイド・ヘッド2』。
本作は2015年に公開されたピクサーのCGアニメーション映画『インサイド・ヘッド』の続編です。劇場公開時から続編構想があったようですが、企画を温め続け、2024年に満を持しての2作目がお披露目です。
『インサイド・ヘッド』は何よりも世界観が個性的。人間の頭の中を舞台にしており、そこに住む5つの「感情」が擬人化され、それらのキャラクターが人間の心にどう作用しているかを視覚化するという試みになっていました。
『はたらく細胞』のように身体の機能的生理現象を擬人化キャラクターで内部的に表現する作品もありましたけど、『インサイド・ヘッド』はその精神的心理現象のバージョンですね。
1作目の『インサイド・ヘッド』は生まれたばかりの子どもが11歳へと成長していく中での心の揺れ動きを、実に巧みに表現しており、ピクサー作品の中でも屈指のストーリーとして高く評価されました。私も好きなピクサー作品のひとつです。
2作目の『インサイド・ヘッド2』は同じ子どもを舞台に、その子が13歳に成長し、前作で少し触れられていましたけど、いよいよ本格的に思春期に突入して大騒ぎな心の内を描いています。
感情も前作の5つからさらに増量。心の内のキャラクターは増えましたけど、作品ならではの面白さは変わらずです。
新キャラクターの各感情の声をオリジナルで担当するのは、『リベンジ・スワップ』の”マヤ・ホーク”、『ボトムス 最底で最強?な私たち』の“アヨ・エデビリ”、『ファイブ・デビルズ』の”アデル・エグザルホプロス”、『リチャード・ジュエル』の“ポール・ウォルター・ハウザー”。まあ、日本国内だと字幕で観られる機会が少ないのですけども…。
『インサイド・ヘッド2』を監督するのは、前作の“ピート・ドクター”から“ケルシー・マン”にバトンタッチ。といっても“ピート・ドクター”はピクサー・アニメーション・スタジオのチーフ・クリエイティブ・オフィサーで、今作の創造面でもちゃんと関わってますが…。
“ケルシー・マン”は本作は初長編映画監督デビューですけども、『モンスターズ・ユニバーシティ』でストーリー・スーパーバイザーを務めるなど、最近の歴代のピクサー作品にずっと関わってきたベテランです。
脚本は前作と同じで”メグ・レフォーヴ”が手がけています。
子どもも大人も楽しめるという言葉がそのまま素直に当てはまる『インサイド・ヘッド2』。大人は思春期を思い出しながら、子どもは自分を見つめながら…。体験を共有し合うのもいいですね。あの世界観が好きな人はどうぞ。
『インサイド・ヘッド2』を観る前のQ&A
A:前作である1作目の『インサイド・ヘッド』を観ておくと、世界観がよりよくわかります。
オススメ度のチェック
ひとり | :気軽に満喫 |
友人 | :見やすい敷居の低さ |
恋人 | :大人でも共有しやすい |
キッズ | :子どもでも楽しめる |
『インサイド・ヘッド2』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
13歳のライリーは、サンフランシスコに引っ越してから2年が経ち、新しい地に不慣れで混乱していた時期はとっくの昔のこととなっていました。
今では学校にも馴染んでいます。今日は課外活動の趣味としているアイスホッケーの試合の日。試合は両親も客席で応援しています。
いざ試合開幕。そのとき、ライリーの頭の中にある「司令部」も盛り上がっていました。感情のひとつである「ヨロコビ」がハイテンションでその楽しさを満喫。「イカリ」が闘争心に火をつけ、点を入れると熱狂。相手選手にぶつかると、「ビビリ」が動揺します。「ムカムカ」も混ざってきますが、試合は順調です。ペナルティを受けると「カナシミ」が落ち込みます。
この5つの感情はライリーの人生をずっと見守ってきました。身体的にも成長しましたが、心も大きな変化を遂げています。
「家族の島」はすっかり縮小し、今は「友達(フレンドシップ)の島」が急拡大。現在のライリーは親友のブリーとグレースを一番に考えているようです。色分けされた「思い出ボール」は複雑な感情を現すようになりました。
さらに心の中に新たに形成された「自己意識」と呼ばれる要素が出現し、ライリーのさらなる成長に感情たちはワクワクしていました。
試合には勝ち、コーチに褒められ、週末のアイスホッケーのキャンプに招待され、大喜びなライリー。学校の華でもある「ファイアーホークス」のチームに参加できるならこれ以上に嬉しいことはありません。
ヨロコビは新しい一歩を踏み出すライリーを支えようと張り切っていました。以前なら自分だけでなんとかしようと抱え込んでいましたが、今は他の感情も大切だとわかっています。
夜、感情たちも休んでいると感情コンソールのあるボタンが光っているのに気づきます。続いてけたたましくアラームが鳴り響き、作業員が押し寄せて、問答無用で司令部を大改造し始めます。
朝、感情コンソールを触ると、なぜかいつもよりライリーの感情が極端に表れやすくなっていました。
キャンプへ出発するも、車内でもブリーとグレースのことを妙に深く考えすぎてしまい、これまでにないギクシャクした一瞬が流れます。
年配の生徒がいる高校に到着し、ドキドキしていると、チームの花形選手であるヴァレンティーナ・”ヴァル”・オルティスが気さくに話しかけてきて、ライリーは必死に話を合わせようと頑張りすぎます。
ライリーの中の司令部でも未知の事態が起きていました。シンパイ、イイナー、ハズカシ、ダリィという新しい感情が急に現れたのです。
ヨロコビたちはこの状況をいつもどおりにコントロールしようとしますが、ヨロコビの意に反して、シンパイはこれまでの友人ではなく、ヴァルとの新しい絆をライリーは築いたほうがいいと判断し、勝手に進めようとします。
しだいに感情たちの不和が広がっていき…。
不安な感情も大切な仲間
ここから『インサイド・ヘッド2』のネタバレありの感想本文です。
『インサイド・ヘッド』は心理的発育という難しい題材に取り組むうえで、抽象化と具体化のバランスが絶妙に上手いと思うのですが、『インサイド・ヘッド2』もその技が冴えわたっていました。専門家の監修の下で作っているので、正確さはもちろん一定の担保はあるのですが、ちゃんとアニメーションで表現できているのが素晴らしいです。
今作では思春期となり、また違った難しさがあったと思います。思春期というのは、少なからず時代や社会文化の影響も受けるものですし、国によっても思春期の体験は違ってきます。ディズニー配給で世界中に公開する以上、特定の限定的な思春期を描くわけにもいきません。
本作では普遍性を確保しつつ、ライリー個人の身近な思春期に焦点があたっていました。起きていることは本当に小さなドラマかもしれませんが、それが心の内の感情たちの視点になることで一大イベントになる。変に設定を盛らずに感情たちの語り口を信頼して作っている感じでした。
本作のテーマは思春期であり、実質「メンタルケア」でしたね。
このシリーズの感情たちは、オリジナルでも単刀直入なネーミングになっており、日本語版のキャラクター名も日本語名でそれに準じています。
ヨロコビ(Joy)、カナシミ(Sadness)、イカリ(Anger)、ムカムカ(Disgust)、ビビリ(Fear)の既存の5つに加え、今回から、シンパイ(Anxiety)、イイナー(Envy)、ハズカシ(Embarrassment)、ダリィ(Ennui)が新規で参加。
今作では、ヨロコビとぶつかり合うのがシンパイです。
これ、日本語名だとちょっとわかりにくいのですけど、シンパイのオリジナル名は「Anxiety」で、この英単語は「不安症」などにも使われるものです。つまり、思いやりや気遣いに回収されることもある「心配」ではなく、精神的に病理化されることもある「不安」なんですよ。
実際、物語の終盤で、シンパイが先走るあまり、ライリーの感情はかつてない問題が生じてしまいます。作中ではこれを過去の思い出の押し寄せとともに、渦の中でシンパイが麻痺したように固まってしまう姿で映像化。要するにパニック症状です。
『インサイド・ヘッド2』が良いのはこの不安な感情を、健康を害するものとして安易に排除する方向にいかず、しっかり自我を形成する大切な感情のひとつとして労わってくれるところ。
こういう感情を危険視することは現実社会でもさまざまなスティグマに繋がりやすい中(例えば、「精神疾患者を犯罪者に結び付ける」など)、本作は非常に誠実に構築されていて安堵しました。
もっと心が躍るものを見たい
そんな感じで『インサイド・ヘッド2』はメンタルケアの物語としては実に丁寧なのですけども、一方で教科書どおりすぎる面もあって、あまりに予定調和なので意外性に乏しいという欠点はあると思います。
前作だとイマジナリー・フレンドが成長と喪失を象徴する感動のエピソードを届けてくれましたが、今作では「昔に大好きだったけど今は封印されているフィクションのキャラクターたち」があくまでギャグとして登場するだけで、メインのストーリーに大きく絡むわけでもありません。
オチとしても最終的に先輩や友人たちとも丸く収まり、何もかもがハッピーエンドで解決します。
もう少し攻めたストーリーでも良かったんじゃないかな。例えば、親友とどう足掻いても距離ができてしまったけど、それでも自身の成長としては欠かせないパーツになっていく…みたいな「円満な別れ」を描くとか。
子どもの複雑な成長を描くという点では最近はキッズ向けのアニメシリーズである『ブルーイ』が傑作エピソードを量産しているので、それと比べると見劣りはします。
また、思春期ということで「性」のエピソードを期待する人もどうしたってでてくるものですが、本作はそこに応えてはくれません。まあ、その分野については極めきった『ビッグマウス』という先駆者がいるから…。
あと、『インサイド・ヘッド2』はクィア・ベイティングでは?という批判はやっぱり避けられませんね(Screen Rant)。どういうところがそれに該当するのかは詳しく指摘している海外記事に譲るとして、ライリーとヴァルの関係性をガール・クラッシュ(女の子への片想い)として受け取れるような描写にもしているのは確かですし…。好意的に解釈するなら、ピクサーの作り手側が企業トップの圧力に負けじと何とかクィア表象をねじ込んでいると捉えることもできます。それでも2024年にこれが限界なのは残念なものです。
もちろん何でも恋愛に捉えるのはそれはそれで恋愛伴侶規範が過ぎるので私は賛同できませんが…。しかし、現在のディズニー/ピクサーはLGBTQ表象には一部の例外を除いて消極的なのは2024年も変わらずかな…。ディズニーは2022年に『ストレンジ・ワールド もうひとつの世界』で一応はやってみせたけど、ピクサーがやってみせるのはいつになるだろうか…(『バズ・ライトイヤー』みたいな脇役じゃなくて)。
さておき、『インサイド・ヘッド2』は世界で特大ヒットをぶちかまし、名実ともにピクサーの主力代表作になったでしょう。『トイ・ストーリー』と似ている性質のある作品ですよね。題材は違いますけど、避けられぬ人間の成長を何か別の世界にスケール・チェンジして繊細に物語化していくという共通項があります。
『インサイド・ヘッド』シリーズは新たなピクサーの顔として、まだまだ広がっていくのでしょうか。
シネマンドレイクの個人的評価
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作品ポスター・画像 (C)2024 Disney/Pixar. All Rights Reserved. インサイドヘッド2
以上、『インサイド・ヘッド2』の感想でした。
Inside Out 2 (2024) [Japanese Review] 『インサイド・ヘッド2』考察・評価レビュー
#ピクサー #女子中学生