腐った権力者のコピーはいらない…映画『ミッキー17』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2025年)
日本公開日:2025年3月28日
監督:ポン・ジュノ
性描写 恋愛描写
みっきーせぶんてぃーん
『ミッキー17』物語 簡単紹介
『ミッキー17』感想(ネタバレなし)
新入生や新社会人へのポン・ジュノ監督からの励ましの言葉
2025年も4月1日を迎えます。日本ではこの日から新年度。新入生や新社会人が本格的に新しい生活を始める時期です。
「これからどんな日々が待っているんだろう」とそわそわ、わくわくしている人もいるかもしれません。
今回紹介する映画はそんな新入生や新社会人にちょうどぴったりな時期に劇場公開される、新入生や新社会人にとっての大事な教訓になるオススメの一本です。
そうですね…この映画を観て「うちのトップの奴はクソッタレだ!」と言い放てる…そういう心構えを胸にしまってほしい…。そういう組織に所属するかもしれないのですし…。
それが本作『ミッキー17』。
本作は“エドワード・アシュトン”の2022年の小説『ミッキー7』を原作にしています(映画のタイトルは数字が10増えている)。出版前から映画化の企画が進み、かなり素早い着手になりました。
物語は、とある惑星を植民地開拓しようとする人間たちが軸になっており、そのプロジェクトに参加しているひとりの貧弱そうな男が主人公です。彼は最新のクローン技術で死んでも記憶を保持して再生された肉体で生き返ることができる状態になっており、使い捨ての労働力としていいように酷使されています。
なんとなく察せるように、とても社会風刺が強烈な一作で、搾取的な資本主義、野蛮な植民地主義、権力者信奉の恐ろしさ…といった、現在の私たちの地球では日常茶飯事のあれこれが痛烈にフィクションの物語にプリントアウトされている世界観です。
この『ミッキー17』を監督したのが、2019年に『パラサイト 半地下の家族』で大絶賛を受けた韓国の“ポン・ジュノ”。『パラサイト』以来の久しぶりの長編映画で待ち遠しかったですが、非韓国体制での制作は2013年の『スノーピアサー』でもみられましたけど、今回はがっつりハリウッドです。
そうは言っても『ミッキー17』も“ポン・ジュノ”監督らしさが隅々まで詰まっていて、「ここがポン・ジュノっぽいな」といちいちクスリと笑えるブラックユーモアもたっぷり。SF映画ですけど、ほぼコメディです。
『ミッキー17』で主演するのは、『THE BATMAN ザ・バットマン』の“ロバート・パティンソン”。闇夜の自警団ヒーローからヘナチョコの搾取労働者に転身ですが、正直、似合ってます。今作は“ロバート・パティンソン”がたくさん見れるので(観れば意味がわかる)、“ロバート・パティンソン”の魅力を思う存分に楽しめます。
共演は、『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』の“ナオミ・アッキー”、ドラマ『BEEF/ビーフ ~逆上~』で高い評価を受けたばかりの“スティーヴン・ユァン”、『陪審員2番』の“トニ・コレット”、『哀れなるものたち』の“マーク・ラファロ”など。
『あのこと』の“アナマリア・ヴァルトロメイ”や、舞台劇で受賞歴もある“パッツィ・フェラン”など、脇にいる非ハリウッド系の俳優陣もなかなかさりげなく素晴らしい顔触れが揃っています。たぶん“ポン・ジュノ”監督と1回は仕事をしてみたいのだろうな。
『ミッキー17』は愛嬌のあるモンスター映画でもありますので、その方面のマニアも大満足させるでしょう。
出会ったばかりの同級生や同僚とぜひ一緒に観るも良し、ひとりで観に行くも良し。間違っても嫌な先輩や上司とは観に行かないほうがいいですよ。それよりもその嫌な先輩や上司に反逆する手段を考えましょう。
『ミッキー17』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | 人体実験の描写があるほか、野生動物が残酷な目に遭うシーンがあります。 |
キッズ | 性行為の描写があります。 |
『ミッキー17』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
2054年、地球から遠く離れた凍りついた環境が広がる惑星ニヴルヘイム。雪深い割れ目にミッキー・バーンズは倒れていました。滑落してしまったのです。
そこに宇宙船が通りかかり、友人のティモが降下してきて、助ける素振りはみせず、「死ぬってどういう感じだ?」と好奇心を顔に浮かべて気楽に聞いてきます。このミッキーは17番目なのです。
ティモはそのまま去っていき、ミッキーの前に巨大な現住生物が現れて飛びかかってきて…。
ミッキーは死んでも平気です。蘇るのです。地球で禁止されている技術を使ってのクローン。これは肉体はもちろん記憶も引き継ぎます。だから大丈夫。
この宇宙船では彼が唯一の消耗品で、常に命の危険がある仕事を任せられていました。他の乗務員はもうこのミッキーの死には慣れきっていました。
発端は地球でティモと高利貸しに狙われたことでした。事業にあっけなく失敗し、困窮していました。2人は拉致されて殺される直前まで追い詰められました。相手は情け容赦ないです。確実に死ぬでしょう。
そこで宇宙船の乗組員として登録するという逃げ道を思いつきます。この宇宙船は惑星ニヴルヘイムを植民地化するためのものでした。大勢の熱狂的な信奉者を抱えるケネス・マーシャルがそのプロジェクトのリーダーです。
藁にも縋る思いでミッキーは消耗品に志願します。受付にも本気かと疑われましたが気にしません。担当者がやってきて、巨大なプリンターに案内されます。これで自分の身体のコピーの基となるバイオデータを記録するのです。
こうして宇宙船は地球を発ちました。ケネス・マーシャルとその妻イルファも同船しており、信奉者の乗員から拍手喝采を浴びます。
そんなことはさておき、当のミッキーはナーシャという女性と愛を深めました。彼女とのひとときだけは人間らしくリラックスできます。それ以外だと死ぬばかりですが…。
そうこうしているうちに惑星ニヴルヘイムに到着です。まず数体のミッキーを順番に使用して、ニヴルヘイムの星に存在する病原菌に対するワクチンを開発します。致死性があるようで免疫ができないと開拓もままなりません。ミッキーの捨て身の人体実験のおかげであっという間にワクチンは開発ができました。
こうして他の乗員も降り立てるようになりますが、次の問題が発生し…。
シュールに描く消耗品の現実

ここから『ミッキー17』のネタバレありの感想本文です。
“ドゥニ・ヴィルヌーヴ”監督が『DUNE デューン』2本の映画で計5時間くらいかけてアーティスティックに描いた社会風刺を、『ミッキー17』は“ポン・ジュノ”監督の早業クッキングで1本の映画内でサクっと味わわせてくれる…そんな作品でした。
要するに「搾取的な資本主義って糞だよね! 植民地主義って糞だよね! 権力者って糞だよね!」…そういうことです。シンプル・イズ・ベスト。
しかし、“ポン・ジュノ”監督らしさでもありますが『ミッキー17』の主人公のミッキーは正義感というよりは卑怯さが滲み出るなんとも情けない奴です。
そもそも借金地獄で死にたくなくて“死ぬ仕事”を選ぶという動機と選択からして本末転倒。ただ、まあ、現実で言うところの、カネに困って闇バイトに手を出すとか、非人道的な選挙候補者の切り抜き動画作成稼ぎをやるとか、そういうのと大差はないのかもしれません。
要するに、困窮ゆえに一線を越えた仕事をしてしまうというのは、実は「搾取される」という最も貧困な状態に陥ったということであり、決して困窮からの脱出を意味していないという話で…。この手のジャンルではよく描かれることなのだけど、人はそれを自覚しづらいものです。
本作の主人公であるミッキーはそれに無自覚でした。自分さえも売ってしまったのです。
“ポン・ジュノ”監督はそのどうしようもない貧困の極みを、ギリギリの笑いで映像化します。その最たる演出が、死んだあとにミッキーの肉体が生成されてでてくるあの装置。コピー機からでてくる用紙みたいに描いていて、その扱いがほんとに雑。丁重に取り扱ってあげようというほんの少しの人道意識すらも消失してしまっていることを、あんなシュールな絵面で表現してくれるのが“ポン・ジュノ”監督流です。
そのコピー用紙と化したミッキーが惑星到着後はワクチン開発のための実験材料にされます。あれは本来であれば実験動物がやらされていることを人間が体験するということで、私たち社会の動物の命の搾取が浮き上がるかたちに…。
ミッキーだけが際立っていますけど、正直、それ以外の労働者も実際のところは五十歩百歩です。あの惑星開拓プロジェクトに一般労働者として志願した者たちの多くはどうやらケネス・マーシャルの熱心な支持者らしいことが作中の描写で窺えますが、その序盤で描かれる支持者の姿は一様に赤い帽子を被ってもろに“ドナルド・トランプ”支持者のMAGAと瓜二つです。
彼らはケネス・マーシャルのためならと喜んで身を投じているようですが、実際は単に都合のいい安い労働力として利用されているだけです。傲慢な金持ちの道楽に付き合わされているだけなのです。
しかし、信奉というのは目を濁らせるもので、そしてそれは権力者には最高の「道具」になる。
今作『ミッキー17』はそんな資本主義や権力者の洗脳から目を覚ます物語です。何回も死んで文字どおり目を覚ましたミッキーからその反抗が始まっていくのが皮肉ですが…。
不気味なテクノロジーを通してディストピアな資本主義を風刺する作品は近年もドラマ『セヴェランス』などがありますが、こういうSFがどこか非現実的には思えないのも、現在の私たちの資本主義や権力のすぐそばには常に最新テクノロジーがあるからなんでしょうね。
気持ち悪さも可愛さです
『ミッキー17』は惑星を植民地支配するという植民地主義の傲慢さも映し出していくことになりますが、そこで現住生物と対峙することになります。ミッキーの肉体生成技術といい、どことなく『アバター』と重なり合うところもありますけども、“ポン・ジュノ”監督のスタイルはここでも発揮されています。
この現住生物(「クリーパー」と呼ばれている)のデザインが最高でした。最初はいかにもこの氷の惑星に適応してそうな巨大なクマムシ風の見た目。それが終盤で立ち上がって口あたりから触手の先に目がついている姿をあらわにし、急にエイリアンっぽさが増します。かと思えば、一番大きい個体ではその目が隙間から覗くように配置されてまるでゾウの瞳のような優しさが垣間見える感情豊かな一面もあって…。
こうやって一種のデザインでも多面的にみせてくれます。とくに生き物をただ綺麗に描くだけでなく、その醜さや汚さまでも含めて愛情込めて描くあたりは、“ポン・ジュノ”監督の眼差しだなと思います。
過去の“ポン・ジュノ”監督作で言えば、『グエムル 漢江の怪物』と『オクジャ/okja』を合わせたようなクリーチャーの役割どころです。怪物として排除される対象になったり、食用として乱獲される対象になったりしますから。
このクリーパーが本当に可愛いのでもっと見ていたかったですけども。
風刺が多彩な『ミッキー17』ですが、クィアネスの観点では今一歩なところもありました。
本作は「性」も強調されます。ミッキーはナーシャという女性と交際をしだしますが、17番目と18番目が同所的に存在するようになってしまうと、ナーシャの奪い合いになるのかなと思えば、ナーシャ本人はわりと2人のミッキーを愛し始めて随分とポリアモリーな許容性をみせます。
作中ではあのクローン技術は自然に反するとして禁忌とされていますが、確かに資本主義に悪用されるのは非人道的で恐ろしいですけども、いくらでも他のことにも転用はできそうです。
「性」もまた人間が他者をコントロールする際によく使う常套手段であり、テクノロジー以前からの定番でした。
本作はミッキーの性やケネス・マーシャルの性を通して、そういうコントロールの力を描く…こともできそうではあるのですが、あまりそこに踏み切ってはいません。たぶんレーティングとかの問題であの程度どまりになったのかな。
また、カイというキャラクターが当初から女性とカップルのような描写になっていて、一旦はミッキーに近づくも、最終的には別の女性と落ち着いています。あのバイセクシュアルにみえるキャラの扱いも、もうちょっと活かせるだろうにそこも抑え気味です。ここもスタジオ上層部の抑制の中でねじ込める範囲がこれだけだったのかなと勘ぐってしまいます。
風刺としては詰め込みすぎなところもあった『ミッキー17』ですが、“ポン・ジュノ”監督のエンタメはやはり楽しいなと実感できました。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
△(平凡)
作品ポスター・画像 (C)2025 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
以上、『ミッキー17』の感想でした。
Mickey 17 (2025) [Japanese Review] 『ミッキー17』考察・評価レビュー
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