それで初めて私の物語になる…映画『サントメール ある被告』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:フランス(2022年)
日本公開日:2023年7月14日
監督:アリス・ディオップ
サントメール ある被告
さんとめーる あるひこく
『サントメール ある被告』物語 簡単紹介
『サントメール ある被告』感想(ネタバレなし)
「子殺し」をこの人はどう撮るか
2023年10月31日、日本の愛知県で出産直後の出生児の遺体を自宅のトイレに流したとして、ボリビア国籍の34歳の女が逮捕された…と報道されていました(東海テレビ)。
こうした母親が生まれたばかりの子どもをトイレなどに遺棄して逮捕される事件はたびたび報じられます。逮捕されるのは当然のようにその産んだ母親です。それ以上の話題は広がりません。
本来であれば「母親に対する出産などへのサポートは適切に行き届いていたか」「家庭環境において妊婦である母親だけに負担が圧し掛かっていなかったか」「中絶などの選択肢はアクセス可能だったのか」…そういった視点での掘り下げも可能なはずです。しかし、それはまずなされません。
いつの時代もどこの国でも世間はこうした事件をこう扱うのが習わしのようになっています。「子殺し」という禁忌の物語だ、と。
「子殺し」はそれこそギリシャ神話にも有名なものがあります。「メデイア(メーデイア)」の悲劇です。
コルキスの王の娘だったメデイアは聡明で魔術や呪術に長け、イアソンに恋します。このイアソンのために何もかも捨ててその身を捧げ、若返りの魔法まで披露するのですが、イアソンに裏切られてしまい、結局、自分の子を殺めるまでに…というのが超ざっくりしたあらすじです。
これは正確には古代ギリシアの劇作家である“エウリピデス”作のギリシア悲劇なのですけども、1969年に“ピエル・パオロ・パゾリーニ”監督作&“マリア・カラス”主演で『王女メディア』として映画にもなっています。
ともかく表面上はタブーを犯した物語の代表として取り沙汰され続けている「子殺し」。そのタブーのベールを取り払った裏には別の物語が隠れているのかもしれません。いや、そっちにこそ本当は目を向けるべきなのかも…。
今回紹介する映画も「子殺し」を扱っていますが、この物語からあなたは何を感じるでしょうか。
それが本作『サントメール ある被告』。
本作はフランス映画で、ひとりの母が浜辺に赤ん坊を遺棄して殺人の罪に問われたという実在の事件を扱っています。ただし、実話をそのまま映すのではなく、フィクション化されています。
また、ほとんど法廷が舞台で、実際の裁判記録を基にセリフも組み立てられているのですが、「真実は何か?」「悪い人間は誰か?」みたいな真相を暴いていくエンターテインメント性はほぼゼロに等しいです。エンタメ系の裁判劇にありがちなドラマチックな展開は期待してはいけません。
ではこの『サントメール ある被告』の何が面白いのか。それの説明が極めて難しいのが困りものなのですけども、監督の話をしましょう。
本作『サントメール ある被告』を監督したのは“アリス・ディオップ”。この人はパリ出身ですが、両親はセネガル人。なお、「ディオップ」という姓はセネガルではよくあるもので、セネガルがフランスの植民地だったこともあって、フランスでも珍しくない苗字です。『アトランティックス』の“マティ・ディオップ”とかがいますね。
“アリス・ディオップ”はこれまではずっとドキュメンタリーを撮り続けてきたクリエイターでした。自身のアフリカ系という出自もあって、人種や民族にフォーカスした作品もありましたが、それ以外にも『私たち』(2021年)のように、とある鉄道網路線沿いの様々な人々をカメラにおさめていったり、社会の周縁の営みに寄り添う姿勢も特徴です。
作家性としては、対象を俯瞰しながら観察するみたいなスタイルだった“アリス・ディオップ”ですが、今回の『サントメール ある被告』は初の劇映画監督作。そしてかなりプライベートな想いがこぼれでています。
そもそも今までドキュメンタリーを撮っていたのになぜ今回は劇映画にしたのかというと、元になった実在の事件を“アリス・ディオップ”監督が取材して作品にしたいと思ったはいいものの、裁判の様子は映像では撮れないので、劇映画で表現することにしたのだとか。
であるならばドキュメンタリー内の再現映像みたいなアプローチでもいいと思うのですが、今回の“アリス・ディオップ”監督はわざわざ作中に自分の分身となる登場人物を用意しており、しっかり自己の感情を挿入しているのです。それだけ監督はこの事件に心を動かされたのだと思います。
そんなわけで、私も観る前は静かな温度低めの裁判劇だと思っていたら、最後は予想外に監督の想いが溢れ出ていてちょっとびっくりしました。
『サントメール ある被告』は2022年のヴェネチア映画祭で銀獅子賞(審査員大賞)と新人監督賞を受賞し、“アリス・ディオップ”監督は華々しく次の一歩を踏み出しましたので、今後も注目のフィルムメーカーとなるでしょう。
『サントメール ある被告』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :主題に関心あれば |
友人 | :エンタメ的ではない |
恋人 | :デート向きではない |
キッズ | :子どもには退屈 |
『サントメール ある被告』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):なぜ殺したのか
真っ暗闇。明かりひとつないですが、波音だけが聞こえます。そこを歩く女性の黒い影。赤ちゃんを抱いていることがおぼろげにわかります。
ラマは「ママ、ママ…」とうわごとを言いながら眠っており、夫に起こされます。
パリで文学の教授をしているラマ。講義に向かい、そこでは黙って聴講する大勢の学生たちを前に自身の知識を語ります。また、ラマは作家でもありました。
ある日、生後15カ月の娘を海辺に置き去りにして死亡させた容疑でロランス・コリーという若い女性が逮捕されたというニュースを見ます。コリーはセネガル人で、ラマと同じでした。セネガルは西アフリカに位置する国で、フランスの植民地だったので、公用語は今もフランス語です。
ラマはこのロランス・コリーの事件に興味を持ちました。「メデイア」の物語との関連としても気になっていました。
そこでコリーの裁判を傍聴するために、フランス北部の町サントメールにひとりで向かうことにしました。
さっそく裁判へ。裁判長が前方中央に座っており、コリーが後ろ手に拘束されて入ってきます。茶色の服で、大人しいです。警官に拘束を解かれて立つものの、淡々と落ち着ています。
「あなたは生後15か月の娘の殺害容疑で告訴されました」
フランス語を流暢に話すコリーは、裁判長との間の会話も明瞭で、不安定さもなく、態度も揺るぎないです。裁判長をじっと見つめながら、目が泳ぐこともありません。
「あなたはなぜ自分の娘を殺したのですか?」
「わかりません。裁判でそれを教えてほしい」
全く動揺をみせることなく、そう言いきるコリー。
法廷はその言葉に聴き入り、裁判は淡々と進みます。ここは法廷ということもあり、騒動などは何も起きません。
ロランス・コリーの夫で、亡くなった娘の父親である男性が証言台に立ちますが、コリーとは話が食い違ってきます。
今日の裁判が終わり、外に出たラマは、偶然にもロランス・コリーの母親と出会い、少し会話をする機会を得られました。
そしてコリーのことを、裁判からは知り得ない一面を教えてもらいます。
この事件はラマにも思っていた以上に刺さっていくことに…。
ガスラジー・マランダの演技に震える
ここから『サントメール ある被告』のネタバレありの感想本文です。
『サントメール ある被告』は前述したとおり、元になった事件があり、それはファビエンヌ・カブー(Fabienne Kabou)というセネガルの女性が2013年11月19日に生後15か月の娘を殺害した出来事です。殺害の方法はほぼ作中どおりで、すぐに逮捕され、2016年6月に裁判で懲役20年の判決を受けました。
当時のニュースではそれは「子殺し」なのでセンセーショナルな扱いです。加えて被告がアフリカ人ということもあり、魔術的な言及もあったことから、とてもステレオタイプなイメージばかりが先走って報道されていたようです。
しかし、この映画はそういった世間のノイズをシャットアウトしています。作中で好奇の目というのはほぼ映りません(メディアの映像が少しだけ映る程度)。もっといかにも悲劇なわざとらしい演出にいくらでもできる題材であるにもかかわらず、それは避けています。そこには当然、“アリス・ディオップ”監督の意図があるのだと思います。
この実際の被告についてもう少し背景を掘り下げましょう。基本的に作中のロランス・コリーの設定と一致しています。
アフリカ系というと世の中は「貧乏」のような短絡的な先入観を抱きがちですが、この人物はそうではありませんでした。セネガルの首都のダカールに生まれ、家庭は裕福で、しかも両親は国連関係の仕事をしていたこともあって、国際的な見識を持っていました。大学で哲学を学ぶためにフランスへ行き、有名な哲学者の「ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン」を研究題材としていたほどに、アカデミックな人生を歩んでいました。
しかし、30歳年上の彫刻家の白人男性と結婚し、この人物の人生は変わってしまいます。2度の中絶を経験し、3度目の妊娠で密かに出産。家族に子を知られることもなく、社会の表から遠ざかり、そして子を殺める結果に…。
裁判では、せん妄であるとか、産後うつ病であるとか、いろいろな精神診断もなされましたが、少なくともこの映画におけるロランス・コリーの描写はとてもしっかりしており、精神的な虚弱な感じには描いていません。パニック行動も法廷ではみせません。むしろ毅然と立ち向かっているようにさえ思えます。
このロランス・コリーを演じた“ガスラジー・マランダ”の演技が抜群に素晴らしかったです。久しぶりにスクリーン復帰となり、それも友人の“アリス・ディオップ”監督に誘われたからだそうですけど、私も知らなかった俳優なんですが今回で出会えてよかったですよ。
これほどの名演技をドキュメンタリー内の再現映像なんかでくすぶらせるのも絶対にもったいないですし、舞台劇では捉えきれないクローズアップのあの繊細な機微の表現…。“ガスラジー・マランダ”を堪能できただけでもこの映画は最高だったのではないでしょうか。
視覚社会学的な抒情詩
『サントメール ある被告』で焦点があたるのは、やはり人種的なアイデンティティとしてのバックグラウンドです。具体的にはアフリカ系女性の社会における足場の不安定さと言いますか…。これはアフリカ系女性自体が不安定だという意味ではなく、アフリカ系女性が立たないといけない(ことになってしまう)その社会の前提がそもそも理不尽にぐらつきやすいという意味で…。
今回の被告となった人物のように、スタートは順風満帆に思えても、ひとたび家族の庇護を失い、さらに白人の男性の下に入ってしまうことで、その人生はいともたやすく急転してしまうということ。助けもない、完全な孤立した状況に陥るということ。
本作ではそれを誰よりも共有していくことになるのは、映画の目線となる主人公のラマです(演じるのは”カイジ・カガメ”)。彼女は被告となった人物と共通点が多いです。セネガル人であること。アカデミックな世界にいること。白人の男性と交際していること。妊娠していること。
本作は母親だったらみんな共感できる…みたいな雑語りにはできませんし、セネガルだったから重なるというのも単純すぎる…。この“アリス・ディオップ”監督にしか理解できないような共鳴性があったのだと思います。
監督がどれだけ心かき乱されたのか…それは作中のラマの後半における姿で痛々しいほどに表現されていきますが、でも言語化はできない。ぐちゃぐちゃに感情が混乱する中でなんとか消化しようとしているのですが、それもできるのかどうか確証はない。
ちなみに“アリス・ディオップ”監督は大学で視覚社会学を専門に学んでいたそうで、この映画自体がまさにその学問を象徴しているようでもありました。ある対象に対して視覚的な情報を収集し、極端に取り扱われがちなものを別の視覚的な表現にモデレートし、言葉以外のイメージでコミュニケーションを図る。こういうフレームワークを提供することをこの映画は達成できています。
結果、この『サントメール ある被告』は“アリス・ディオップ”監督にしか語れなかったであろう特別な抒情詩のような余韻をもたらし、この映画自体を彷徨ったまま終えています。
そうなってくるともうあの被告となった人物の裁判結果とかを描く必要性もない。この映画のゴールはどこにいくのかという話で…。
本作はシンプルに観るなら、作中を通して観客をも傍聴させるという効果を与えますが、私たち観客に裁判の終わりまでは傍聴させないという時点で、作り手の意図はきっとそこじゃないのだろうなと思います。そもそもフランス内ではある程度有名な出来事なので結末はわかっているだろうという部分もあるでしょうけど。
コリーの一瞬の目線を受け取ったラマのあの姿。そのラマの姿は、他の母や娘の人生とも交差し、それでも答えはでない。当事者は答えなんて知らないのです。
「教えてほしい」というコリーの言葉はエンディング後の観客に向けられているようでした。なんでこんなことになってしまうのか…どういうことなんですか?…と。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 94% Audience 54%
IMDb
6.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
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第79回ヴェネツィア国際映画祭の受賞作の感想記事です。
・『ボーンズ アンド オール』(銀獅子賞;最優秀監督賞)
・『イニシェリン島の精霊』(男優賞)
・『TAR/ター』(女優賞)
・『熊は、いない』(審査員特別賞)
作品ポスター・画像 (C)SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINEMA – 2022
以上、『サントメール ある被告』の感想でした。
Saint Omer (2022) [Japanese Review] 『サントメール ある被告』考察・評価レビュー