「多様性」や「LGBT」という言葉は、日本でもすっかり知れ渡り、単語として一般化した雰囲気ですが、実際のところ、それらの言葉の意味は正しく理解されているのでしょうか?
正確に理解しないままになんとなく頭に入れてしまっている人もいれば、その不正確な認識に基づいて「反“多様性”」や「反”LGBT”」に傾く人も珍しくありません。「最近、多様性とかLGBTってよく言うけどさ~」と、今の流行りの言葉につい口をはさんでみせてマウントをとる人も見かけますが、たいていは「多様性」や「LGBT」の意味を適切に理解していません。
それでも学習の機会は乏しく、不正確な情報が拡散されやすいネットの特性も悪化の原因となり、「反“多様性”」や「反”LGBT”」にまつわる言説は増すばかりです。
そこでこの記事では「反“多様性”」や「反”LGBT”」で使われやすいレトリックを整理することにします。
基本用語をまず知る
「反“多様性”」や「反”LGBT”」で使われやすいレトリックを整理する前に、そもそも「多様性とは何か?」「LGBTとは何か?」という基礎を押さえておかないと元も子もありません。
まず言葉の基本的な意味について簡単に説明しておきます。
「多様性」とは?
「多様性」は英語の「diversity」の訳語です。「diversity」はラテン語に由来し、13世紀から「さまざまな」という意味で用いられてきたそうで(The Guardian)、最近になって突然現れた新語ではなく、かなり古い言葉です。英語学を専門とする“フィリップ・ジョセフ”博士によれば、「diversity」という言葉が現代的な用法で頻繁にアメリカで使用されるようになったのは多文化主義が政策で意識され始めた1970年代からだと解説しています(CU Denver News)。
「多様性」は辞書で意味を調べれば、「いろいろな種類や傾向のものがあること。変化に富むこと」といった説明がなされます。
しかし、それはあくまで単語の漠然とした定義でしかなく、この1970年代から多用されるようになった「多様性(diversity)」はただ単にさまざまな種類のものがあるだけを意味するわけではありません。
とくに「人間(もしくはその社会)の多様性」の場合は、それは人権を前提にした言葉です。つまり、人種、民族、宗教、外見、性別/ジェンダー、性的指向…それらのアイデンティティとなるものが人権として保護され、侵害されることなく存在している状態。それが「多様性」となります。なので「多様性」が損なわれるということは人権侵害が起きていることであり、ゆえに国際社会は「多様性」を重視しているのです。
「LGBT」とは?
「LGBT」とは、レズビアン(Lesbian)、ゲイ(Gay)、バイセクシュアル(Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)の頭文字をくっつけた言葉です。これは知っている人も多いはず。しかし、勘違いされやすいですが、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの4つをまとめて呼ぶときの用語ではありません。セクシュアル・マイノリティの総称でもありません。
「LGBT」はセクシュアル・マイノリティの権利運動における政治的連帯を意味します。これには歴史があります。
アメリカでは1970年代からセクシュアル・マイノリティ当事者による平等な権利を求める運動が活発化したのですが、そのときは「Gay」という単語がキャッチコピーとして使われていました。しかし、同性愛者がバイセクシュアルの人を見下したり、トランスジェンダーの人が排除されたりと、セクシュアル・マイノリティ当事者同士内で差別が起き、連携することができない事態が起きました。
これを反省し、1980年代の終わりに一部の活動家たちが「LGBT」という言葉を考え、1990年代にはこの「LGBT」が権利運動のキャッチコピーとして広まっていきました。
なので、「私はLGBTの一員です」と言ったときは、「私はセクシュアル・マイノリティです」という自己紹介にとどまらず、「他のセクシュアル・マイノリティを差別せず、コミュニティとして連帯します」という宣言をしているのと同義です。
現在は「LGBT」のほかに「LGBT+」「LGBTQ」「LGBTI」「LGBTQA」などさまざまな派生語から登場していますが、基本的な意味は同じで、連帯が前提にあります。このようにセクシュアル・マイノリティの権利運動では「包括性(inclusion)」(意味は<「多様性」とは?>で解説しました)が重視されるのです。そのため、パンセクシュアル、アセクシュアル、ノンバイナリーなど他のセクシュアル・マイノリティもしっかり権利運動の輪に含まれています。
反多様性・反LGBTのレトリック
ここからは「反“多様性”」や「反”LGBT”」で使われやすい代表的なレトリックを紹介していきます。
そもそも「レトリック」というのは、言語的な技巧のことで、詭弁のような論法であり、誤謬とも言えます。実際は間違っていたり、論点をズラしているだけなのですが、一見するともっともらしい正論を言っているようにみえるので、多くの人が「一理あるかも…」とうっかり納得してしまいやすいという問題性を抱えています。
これらのレトリックは個人でSNSなどで拡散することもあれば、メディアがレトリックに基づいた記事を公開しているケースもあります。
大半のレトリックは以下の2つに大別されます。いずれも意味を曲解・歪曲させることでこの2つのどちらかに持っていきます。
- 危険視(「多様性」を否定する=危険な存在としての「多様性」)
- 私物化(「多様性」を否定しない=都合よく書き換えられた「多様性」)
レトリックに騙されないようにするには、レトリックを知ることが何よりも大切です。
定義の曖昧さをつく
- 「●●には○○が含まれるかもしれない」
- 「●●には○○を含めるべきではない」
- 定義なんてするな / 必要ない
どんな物事にも定義があります。定義というのは、対象が実存すれば自然発生的に生じます。
しかし、この定義は唯一無二の正解ではなく、複数の定義が乱立し、流動的だったりします。定義は定義以上のなにものでもなく、過小評価したり、過大評価したり、絶対視したりすることはできません。定義とはそもそもが曖昧なものです。
この定義の曖昧さを利用するのが「定義の誤謬」です。これは多様性への攻撃に広く応用されています。
「●●には○○が含まれるかもしれないじゃないですか」と言って、「包括性」を「何でもあり」であるかのように曲解するパターンもあれば、「●●と名乗っていいのは○○な人だけだ」と言って、排外主義になりかねないなエリート主義で包括性をないがしろにするパターンもあります。
また、そもそも「定義するべきじゃない」と無理難題を突きつけるパターンもあります。
これこそ多様性だ / 多様性でない
- 多様性という価値観を押し付けることは逆に多様性ではない
- 「○○が嫌い」「差別感情」というのも多様性のひとつだ
- ○○は真の多様性ではない(○○こそ真の多様性だ)
こちらも反多様性の「定義の誤謬」のパターンの代表例です。
まず根本的な基礎として「多様性」は「価値観」の一種ではありません。「流行(ムーブメント)」でもないです。人種、民族、宗教、外見、性別/ジェンダー、性的指向など、人間には多様さがあるという「事実(fact)」「現実(real)」を意味しています。なので多様性は、押し付けるも何も既に実在しています。
この多様性の事実を否定したり、矮小化したり、平等に扱わなかったりすることは人権侵害です。そのため「○○が嫌い」といった差別感情は多様性を構成するものではないです。むしろそれは多様性を脅かします(寛容のパラドックス)。だから問題視されます。「嫌いとか苦手は“内心の自由”だから…」と主張する人もいますが、それをSNSなどで表現したり、態度に表せばもう内心では済まないです。そして「表現の自由」は「差別の自由」ではないです。
多様性は人権に関わることであり、賛否を問うものではありません。人権は「命と健康」の問題です。
中には既存の多様性に対して「それは真の(本当の)多様性ではない」「私の考えるものこそ真の多様性だ」と語る人もいますが、これは典型的な「純粋さに訴える論証(真のスコットランド人論法)」という詭弁です。
もちろん常に包括性を問うことは大事です。インターセクショナリティなど包括性に関する視点はたくさんあります。詭弁ではなく、人権を前提に議論しましょう。
●「真に多様性のある社会とは、様々な意見や価値観が共存する社会です。そこには当然、自分と異なる価値観や、自分が聞けば不快な意見が存在します」
●杉田水脈議員「人権の定義に関する根拠法令がない」「(人権侵犯認定について)こういう言論弾圧は許してはいけない」(日刊ゲンダイDIGITAL)
LGBTは不十分 / 多数派だ
- 「LGBT」だけじゃない。他にも性的少数者の種類がある
- 「LGBT」には○○も含まれる(例:小児性愛など)
- 「LGBT」という言葉はないほうがいい / 欧米の思想だ
反多様性の「定義の誤謬」のパターンの中でもLGBTに向けられやすい特有のものです。
<「LGBT」とは?>で解説したとおり、「LGBT」は包括的な連帯を示す言葉なので、さまざまなセクシュアル・マイノリティを内包しています。
一方で、そうした「LGBT」の包括性を逆手にとろうとして、「小児性愛も含まれる」「過激で性的な趣味嗜好も入っている」と、危険視してくる人もいます。これは定義の曖昧さを悪用して言葉を悪魔化しようとする「定義の誤謬」の典型例です。「LGBTの中にペドフィリアが含まれるとコミュニティで合意形成がとられた歴史はありません」と丁寧に説明しても、このレトリックを口にする相手には通用しません。世間に対して言葉に微かな疑いを持たせれば勝ちだと思っています。
逆に「“LGBT”よりももっと“性的な”マイノリティな人がいる」と主張する人もいます。これは性的指向と性的嗜好(フェティシズムなど)を意図的もしくは無知で混同しているケースも多いですが、「LGBT」という言葉のマイノリティ性を疑わせます(本当は口うるさいだけの多数派なんじゃないかと錯覚させる;後述の<○○もマイノリティ / 弱者だ>も参照)。
また、「LGBTという言葉はなくなるほうがいい」と口にする人が当事者の中にもときどきいますが、これも<「LGBT」とは?>で解説したように、本来は連帯を意味するので、当人はそのつもりはなくてもアイデンティティや連帯の否定と捉えられるでしょう。コスモポリタニズムを支持しているのかもしれませんが、個々のアイデンティティの否定はやはり危ういので注意が必要です。
「LGBT」という言葉に妙に張り合いたがっているだけならまだしも、加えて、反LGBT団体は「LGBT」という言葉を消去し、不信感を広めたがるという実情もあるので(PinkNews)、そうした言説と同調しやすくなってしまいかねません。
「LGBT」はもともと英語圏の用語なので、非英語圏ではどんな文化や歴史があるのか…そういう観点で「LGBT」という言葉をあえて使わずに議論するには全く問題ないです(同性愛など個々の性的少数者の存在は欧米由来というわけではない;LGBTQ Nation)。
●Qアノンを源流とする“小児性愛”陰謀論や“グルーミング”陰謀論(LGBTQ Nation)
●マット・ウォルシュの『What Is a Woman?』での「性自認があるならオオカミ自認もある」という主張(The Advocate)
●『正欲』紹介記事「注目されるLGBTQは、マイノリティーの中でも多数派」(ひとシネマ)
○○もマイノリティ / 弱者だ
- モテない弱者男性は被害者である / 逆差別だ
- 結局はみんなマイノリティなんだ
- みんなの命が大事(All Lives Matter)
反多様性の「定義の誤謬」のパターンのうち、マジョリティとマイノリティの境目を混乱させる手口です。
多様性の議論において、「マジョリティ」と「マイノリティ」という言葉は頻出します。
これらの言葉は辞書的には「多数派」「少数派」と説明されがちですが、実際は単なる数の多さ・少なさの話ではありません。
「マジョリティ」と「マイノリティ」とは、構造の視点でみたとき、“ある一方”が“ある一方”の人権を脅かしかねない不均衡が生じている際、その優位な側を「マジョリティ」といい、不利な側を「マイノリティ」と呼びます。基本的に優位な側を「規範(normativity)」とする構造があるので、「マイノリティ」は規範から外れた扱いとされ、「マジョリティ」と同じ権利を享受できません。
構造の視点が重要なので、「経験やスキルがない」「可哀想である」「理解されない」といった視点は「マジョリティ」と「マイノリティ」を区別する材料になりにくいです。
例えば、「恋人がいない」のはそれだけではただの個人の経験の話なので「マイノリティ」と言えませんし、「モテない」「セックスしたことがない」といったことももちろん「マイノリティ」にはなりません。しかし、「同性同士の恋愛が異端視する社会があって結果的に恋人ができにくい」や「障がい者を前提とした性の娯楽が乏しいのでセックスを楽しみづらい」といった人権侵害をともなう社会構造で語れると、それは「マイノリティ」と論じることができるようになってきます。
「英語ができない人」はマイノリティでしょうか。英語ができると情報にたくさん触れられて、就職にも有利だから、英語ができないことはマイノリティだと言い切る人もいます。でも世の中には英語どころか何ヶ国語も喋れても雇用の機会を得られない人がたくさんいます。また、どの言語を習得できるかはその人の教育や家庭環境、発達特性、政治体制などさまざまなことが影響します。
社会構造を無視して多様性や差別を論じようとすると、ただの脊髄反射な反論を繰り返すだけになってしまいます。例えば、男性中心社会への批判に対して「男性差別だ」と主張したり、シスヘテロ女性ありきの認識への批判に対して「女性差別だ」と主張したり、白人至上主義への批判に対して「白人差別だ」と主張したり、宗教右派への批判に対して「宗教差別だ」と主張したり…。
この「これはマイノリティか?」議論は、あれもこれもと話題が際限なく追加されがちで「燻製ニシンの虚偽」に陥りやすいです。そして後述の<人権vs人権>のレトリックへと繋がります。「人権に基づく構造」の視点で議論するという軸を常に動かさないように向き合っていきましょう。
これは差別ではない / 逆差別
- 差別と言うほうが差別なんだ / 何でも差別にするな
- 「○○」は差別的なレッテルだ / レッテルを貼るのはよくない
- 差別したつもりはない / 区別だ
- 多様性には反対していませんが~
反多様性の「定義の誤謬」のパターンのうち、言い訳に用いられやすい手口です。
「差別です」というフレーズは自分が言われるとドキっとします。「悪いことしちゃったのか」と落ち込む人もいれば、何が良くなかったのかわからず困惑する人もいますし、ついムカっと反論したくなる人もいます。
この「差別です」という指摘は、相手を問答無用で論破できる魔法の言葉ではありません。その言葉を相手に向ける/向けられる以上、「それはなぜ差別なのか」という構造的理由が背景にあるはずですし、そうでなくてはいけません(そうでないとただのハラスメントになりかねません)。
言い換えれば、「差別である」という指摘は人権侵害を訴えるうえで欠かせません。そしてこうした理由をともなって向けられる「差別である」という指摘の際は「ミソジニー」「白人至上主義」「ホモフォビア」「トランスフォビア」などの具体的な差別内容を示す用語が使われることがあります。これら自体が差別的なレッテルということにはなりません。
これらの具体的な差別内容を示す用語を示されたとき、「差別したつもりはない」「区別しているだけです」「多様性には反対していませんが~」「誤解をさせたなら謝罪したい」と条件反射的に保身的態度をとってしまうのはよくありますが、少し冷静になってからでもいいので、自分がどんな「人権に基づく構造」において誤ったことをしてしまったのか、自省してほしいです。
多様性を新しい概念・流行としてみなす
- 新しい価値観だから受け入れられにくいのだ
- まずは理解を深めることが大切だ
多様性は昔から存在し、そこに在ったものです。新しい概念ではありませんし、流行でもありません。もっと言えば、多様性は非常に古い歴史があります。
反多様性では、多様性を「新しい価値観」のようにみなし、社会への多様性遵守には段階的な理解が必要であるなどの言い訳を主張する場合があります。または、「新しい価値観を押し付けている!」などと「新しい価値観」が「古い価値観」を駆逐しているかのようにミスリードさせることもあります。
差別を思想や感覚の問題にすり替える
- 差別なんて存在しません
- 気にしなければいい。考えすぎだ
- みんな生まれながらに違うのだから文句を言わずに努力しよう
定義とは少し違いますが、多様性を感覚的にしか捉えないことも反多様性のレトリックとなります。
差別が話題にあがると、「差別なんて実際は存在しない。一部の口うるさい人たちがゴネているだけだ」と差別の存在自体を否定する人がいます。
もしくは、差別の存在は全否定しなくても、「そういうのは気にしなければなんとかなる。考えすぎないほうがいい」「SNSで権利を主張すると、悪目立ちしてかえって非難に晒されるからやめるべきだ」と、まるで優しく諭すように言ってくる人もいます。
さらには「みんな生まれながらに違うのだから…」「全員が同じじゃないのだし…」などと差別が個々の違いの結果にすぎないものであるかのように語り、「文句を言わずに自分のできる限りの努力しましょう」と個人の頑張りに責任を持たせる論調も見られます。
また「自分が不快に感じない理想の世界なんて求めても一生届かないのだから…」とまるで個人の感覚の問題であるかのように論点をすり替える人もいます。
これらは差別に苦しむことになる当事者に対するマインドコントロール(ガスライティング)として機能する危険なレトリックです。こうしたレトリックを使いこなす人は、当事者を従順にさせ、都合よく支配することに長けています。
何度も繰り返しますが、差別のない社会を求めるのは、高望みな理想郷ではありません。基本的人権の遵守であり、最低限の土台です。差別に苦しむ人は何も間違っていません。
●「障がい者への過剰な配慮は逆に障がい者にとって良くない」
権利運動に関わる個人を危険視する
- 被害者意識が強すぎるだけ
- アイデンティティにこだわりすぎている
- 思想が強い / 意識が高い
- 正義の暴走だ / マウントをとっている
これは多様性に関わる権利運動に関わる個人を危険視するレトリックです。
その個人の行動を「行き過ぎている」「過剰だ」とレッテルを張ることで、異常者のように扱います。これはいわゆる「トーンポリシング」と同質のレトリックです。個人の行動の振る舞いや立ち位置を批判し、論点をずらしています。
多様性は特定のアイデンティティにこだわっているわけではありません。しかし、反多様性の言説では、アイデンティティに固執しているだけといった矮小化をしたり、歴史や人権に紐づくアイデンティティを「誰でもなれる」と軽んじたりする主張もみられます。
何らかの犯罪について「正義の暴走」「行き過ぎた正義」などと安易に論じ、「正義=真の悪」という論調に持っていこうとするのも、典型的な反多様性に繋がりやすいです。
●「被害者意識が蔓延している。これは現代社会の病理だ」
●「多様性はいいんだけど、普通の私たちに迷惑をかけるな」
●「多様性を叫ぶほどに、差別は悪化するんだ」
権利運動そのものを社会悪とみなす
- 地域が滅びます
- 犯罪が増える
- 女性や子どもを守れない
これは多様性に関わる権利運動に関わる個人だけでなく、権利運動や多様性の概念そのものを社会を脅かす悪とみなすレトリックです。
多様性は人権を前提にしていると<「多様性」とは?>でも説明しましたが、それなのに奇妙なことに、多様性に取り組もうとすると「地域社会が脅かされる」といった発言をして抵抗感を示す人がいつも何人かでてきます。「犯罪が増える」とか「女性や子どもが危険だ」などと漠然と恐怖を煽ることもよくあります。
実際のところ、これらのレトリックは多様性(もしくはその多様性の中の一部のアイデンティティ)を快く思っていない一部の人たちが、好んで真っ先に使う定型文にすぎません。「すべり坂論法」で話を脱線させ、「フィアモンガリング」と呼ばれる恐怖心で大衆を刺激しようとする手口です。中にはデマだとわかりつつも故意に誤情報を拡散させる人もいます。
犯罪者や異常者と同列に語り(もしくはそう容易く連想できるように示唆して)、特定のマイノリティにスティグマを与えるような主張も見られます。
●江東区の星野博区議「(パートナーシップ制度は)伝統的な結婚や家族の概念を変質させ、国家の根幹である婚姻制度、家族制度の衰退と少子化の進行につながることを危惧している」(東京新聞)
●松村智成議員「偏向した教材や偏った指導があれば子どもを同性愛へ誘導しかねない」(東京新聞)
●マイク・ジョンソン議員「ローマ帝国は同性愛のせいで滅んだ」(The Advocate)
やんわりと不安を煽る / 中立を理想化する
- 分断を招いています
- ~は議論を呼びそうです
- 声高に主張せず、穏便にいきましょう
- 政治的なことは触れないでおこう。中立なので…
これらのレトリックは実際のところは前述した「権利運動そのものを社会悪とみなす」の派生型です。
「社会が滅ぶ」などといった強烈な言葉は使わず、でもやんわりとそれを示唆するような論調で、不安感を与えます。「分断を招いています」「~は議論を呼びそうです」などの言葉づかいはメディアもよく多用しがちです。
実際、新しい分断や議論が起きているわけではなく、そうした状況は以前からあり、それがどこで強調されるか、どんなふうに強調されるかの問題です。メディアがこうしたレトリックを不安を煽るかたちで意図的/非意図的に使うのはマッチポンプと言えます。
また、こうした不安を煽ることで、「穏便でいること」「中立でいること」が正しいかのように錯覚させる場合があります。その結果、問題解決のために積極的に声をあげている人や、活動をしている人が、まるで状況を悪化させたかのようにミスリードさせます。
自然を都合よく利用する
- LGBTは自然とは言えない
自然や野生動物は人間社会以上に多様性に溢れており、性別さえもそうです。
多様性とそれにまつわるトピックが自然に反するなんてことはありません。「自然に訴える論証」になってもいけませんが、自然や生物を差別の正当化に悪用するのは論外です。
利権・プロパガンダ・コンプラ・ポリコレ
- 多様性やLGBTには利権がある
- 多様性やLGBTはプロパガンダだ。イデオロギーだ
- 過剰なコンプラだ / 行き過ぎたポリコレだ
反多様性のレトリックにおいて、使いやすい便利な言葉がいくつかあります。
「利権」「プロパガンダ」…こうした言葉を向けてくる人はいます。多様性などの説明をしているだけで「工作員」「日本からでていけ」などという誹謗中傷をしてきたりも…。
しかし、現実では、むしろ「反“多様性”」や「反”LGBT”」を扇動する側のほうが巨大な資金力を有し、メディアコントロールをしている事例がたくさん報告されています。
「南部貧困法律センター」の調査によれば、反LGBTヘイトグループと認定された非営利団体は、2020年に1億1000万ドル以上の寄付を受け取っていたと報告しています(NBCnews)。SNSに反LGBTの広告が流れて拡散することも珍しくありません(PinkNews)。
一方で、多様性などはそれ自体は<「多様性」とは?>でも説明したとおり「事実」にすぎません。にもかかわらず「極端な主張」として「反“多様性”」派から拒絶されることがあります。例えば、学校で親について話す授業で、母親が2人いる(同性カップル)と語った子どもが「プロパガンダを広めた」として中傷される事例なども起きています(LGBTQ Nation)。
「イデオロギー」「コンプライアンス(コンプラ)」「ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)」などの言葉を都合よく歪めて利用し、多様性に関する取り組みをもっともらしく批判しようとする手口も定番です。これらの用語は“仮想敵”を構築するのに用いられます。
人権vs人権
- 女性の権利を訴えているだけです
- 白人弱者の権利は守らなくていいんですか?
- 差別はダメだけど、犯罪から市民を守ることも大事です
ここまで散々「多様性は人権を前提としたもの」と説明しておきましたが、これを逆に利用するレトリックがあります。
例えば、「女性の権利を訴えているだけです」と主張しながらトランスジェンダーやインターセックスの人の権利を否定したり、「白人の権利も守れ!」と訴えて黒人の権利運動に対抗したり、LGBTプライド・パレードにぶつけるように「ストレート・パレード」(異性愛者のパレード)を実施したり…。
これらには、「Bの権利よりもAの権利をまず守るべき」という選民思想や優生思想的な「エリート主義」、または「Aの権利を守るか、Bの権利を守るか、そのどちらかだ」というような「誤った二分法」…こうしたレトリックが存在します。
また、マイノリティな「Aの権利」を否定したいがために、「自身は“Bの権利”を持っている!」と対抗カードとして掲げる場合もあり、これは実質的には「支配」を言い換えただけです。例を挙げるなら「親の権利」などです(Xtra Magazine)。
人権にはさまざまなものがありますが、どれも互いを侵害せず、両立します。人権はそれ同士を戦わせて遊ぶものではありません。
●「女性のスペースを守るのは女性の権利です」
●「子どもにLGBTを学ばせたくない。これは親の権利です」
●「妻を従わせるのは、夫の権利だ」
以上の「反“多様性”」や「反”LGBT”」で使われやすいレトリックを理解しました。
これらのレトリックを使っただけで「悪者」というわけではありません。レトリックを取り締まるべきと言っているわけでもありません。これらのレトリックは誰しもがつい使ってしまうことがあります。
問題なのは、こうしたレトリックが蔓延すると、いつの間にか社会の差別的な構造を増幅させてしまうということです。それは取り返しのつかない事件を招いてしまいます。
そうならないために自覚的でいましょうという話です。これらのレトリックを把握しておくことで、いざそうした言動に直面しても冷静に対処しやすくなります。レトリックにレトリックで言い返す必要はありません。みんなでそこに在る多様な社会を守っていきましょう。
トランスジェンダー差別に関するレトリックは以下の別の記事でまとめて整理中です。
【ネット】
●2018. Does the word ‘diversity’ really only have one meaning? The Guardian.
●2020. The Language of Diversity Is, Well, Diverse. CU Denver News.
●2022. Groups opposed to gay rights rake in millions as states debate anti-LGBTQ bills. NBCnews.
●2022. 「首相は何を評価して…」杉田水脈氏、簗和生氏の起用に抗議の声 LGBT差別発言の過去も「意図はない」. 東京新聞.
●2022. パートナーシップ制度「少子化につながる」と江東の自民区議「制度悪用の可能性」とも 撤回求める声. 東京新聞.
●2023. Africa’s rich LGBTQ+ history has long been suppressed & activists are taking a stand. LGBTQ Nation.
●2023. Children of queer parents are the forgotten victims in the right-wing crusade against LGBTQ+ rights. LGBTQ Nation.
●2023. It’s a straight line from Q Anon’s pedophilia hysteria to the GOP’s groomer rhetoric. LGBTQ Nation.
●2023. Anti-trans documentary takes over X – but users are fighting back. PinkNews.
●2023. The wildest claims LGB Alliance makes in its report against the word ‘queer’. PinkNews.
●2023. Elon Musk Mocked for Calling Cisgender a ‘Heterosexual Slur’. The Advocate.
●2023. Mike Johnson Says the Gays Ended Rome in Newly Released Audio Recordings. The Advocate.
●2023. Three Who Were in Matt Walsh’s Anti-Trans Film Say They Were Deceived. The Advocate.
●2023. Trans kids are people, not property. Xtra Magazine.
●2023. 「教育が児童を同性愛へ誘導しかねない」 自民党区議、台東区議会で発言 当事者「差別や偏見に基づく非科学的な発言」. 東京新聞.
●2023. 崔さんへのヘイト認定「これ以上、被害ないように」地裁川崎支部「帰れ」投稿は差別. 東京新聞.
●2023. 杉田水脈氏、アイヌ事業関係者を「公金チューチュー」とやゆ 政務官辞任は「謝罪するのが嫌でやめた」. 東京新聞.
【本】
●周司あきら, 高井ゆと里. 2023. トランスジェンダー入門. 集英社.
【論文】
●太田敏男. 2022. パラフィリア症群・作為症群. 精神神経学雑誌 124: 62-66.
●松永千秋. 2022. ICD-11で新設された「性の健康に関連する状態群」―性機能不全・性疼痛における「非器質性・器質性」二元論の克服と多様な性の社会的包摂にむけて―. 精神神経学雑誌 124(2): 134-143.
●日本精神神経学会. 連載 ICD-11「精神,行動,神経発達の疾患」分類と病名の解説シリーズ.