通り過ぎていったあなたへ…映画『トリとロキタ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:ベルギー・フランス(2022年)
日本公開日:2023年3月31日
監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ
性暴力描写 児童虐待描写
トリとロキタ
とりとろきた
『トリとロキタ』あらすじ
『トリとロキタ』感想(ネタバレなし)
ベルギーの難民の日常
英語で「asylum seeker(アサイラム・シーカー)」というのは、難民として他国に保護を申請している人を指します。何らかの事情で母国にいられなくなった人は、命からがら国を出るわけですが、他国に簡単に住めません。逃げ出せたとしてもそこからも苦難が待っています。
ヨーロッパでは「押し寄せる移民・難民」が政治的問題になっています(厳密には難民が生じてしまうような世界情勢になっていることこそが問題なのですが)。ヨーロッパ各国でも事情は違っていますが、それぞれの国の実態は日本ではあまり詳細に知られにくいです。
例えば、ベルギー。ドイツ、フランス、オランダ、ルクセンブルクに挟まれているベルギーでも、難民はあちこちからやってきます。
2023年はベルギー政府は難民への政策をめぐって人権の観点から厳しい批判を受けました。独身男性の亡命希望者への保護を拒否することを目的とした政策が原因です(Politico)。対処しきれないほどに溢れる難民申請ゆえの施策なのでしょうが、「難民および亡命者に関する欧州評議会」は「違法な政策」と指摘しています。
排除されているのは独身男性だけにとどまりません。ベルギーでは2022年には合計 36871件の国際保護申請が提出されるも、難民認定されたのは43%のみ(ECRE)。子どもや同伴者のいない未成年者でも受け付けられない状況さえも発生しています。
ベルギーで難民や亡命を受け付ける政府機関は「Fedasil」と呼ばれるのですが、難民希望者への扱いが劣悪であるとして過去に人権団体から何度も訴えられ、有罪判決によって欧州人権裁判所から暫定措置を講じられたことも何度もあります。
改善は急務なのですが、上手くいっていません。
そんなベルギーの難民が直面する現実をまざまざと映す映画が今回の作品です。
それが本作『トリとロキタ』。
本作はべルギー映画で、監督はあのベルギー映画界の巨匠である“ジャン=ピエール・ダルデンヌ”と“リュック・ダルデンヌ”の“ダルデンヌ兄弟”です。
1978年の『Le Chant du rossignol』などもともとドキュメンタリーでキャリアをスタートした監督ですが、1987年に『Falsch』で長編劇映画デビュー。3作目の『イゴールの約束』(1996年)でカンヌ国際映画祭の注目を集め、1999年に監督4作目の『ロゼッタ』でカンヌ国際映画祭のパルム・ドールを受賞。ここからは国際的映画監督として大手を振ることになります。2005年には『ある子供』で2度目のパルム・ドールを受賞し、一部の監督しか到達できないステージへと上昇。それ以降も、『ロルナの祈り』(2008年)、『少年と自転車』(2011年)、『サンドラの週末』(2014年)、『午後8時の訪問者』(2016年)、『その手に触れるまで』(2019年)とその手がける作品は常に映画界で関心の枠から外れることはありません。プロデューサー業にも精力的ですね。
その“ダルデンヌ兄弟”が「移民・難民」に手をだすのは素材としては初めてではないのですが、今回の『トリとロキタ』はまさしく難民の子ども2人を主人公にしており、いつになく題材設定が直球です。
『トリとロキタ』は16歳と11歳のアフリカからの難民の子が共同で生存しようともがきながら、ベルギーの街でどう扱われていくのかを、“ダルデンヌ兄弟”らしい社会的リアリズムで淡々と描いています。タイトルはその主人公である子ども2人の名前です。
この2022年の『トリとロキタ』は、第75回カンヌ国際映画祭の第75回記念賞という特別枠的な受賞となりました。まあ、もう“ダルデンヌ兄弟”、いっぱい獲りまくっているからな…。
“ダルデンヌ兄弟”監督映画を一度も観たことがないという人も、本作からでもOKです。約89分と短いですし。
なお、『トリとロキタ』は直接的な描写はないですが、未成年への性的加害行為を示唆するシーンがあります。また、児童虐待的な言動が断続的に描かれもします。そのあたりは留意してください。
『トリとロキタ』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :監督作初めてでも |
友人 | :テーマに関心あれば |
恋人 | :暗い展開だけど |
キッズ | :児童への暴力あり |
『トリとロキタ』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):2人は支え合って…
今、16歳のロキタはベルギーにいました。入国管理官の面接を受けており、ロキタは懸命に質問に答えようとします。アフリカから難民としてやってきたロキタですが、トリとの関係を聞かれて少し詰まります。トリは11歳の子で、ロキタは弟だと言っていました。しかし、どうも辻褄が合わないところがあるのです。
面接の不安に耐えきれなくなったロキタはパニックになりかけ、その場で薬を飲み、面接はまた別の日に設定されます。
ロキタはトリと暮らしています。と言っても用意された部屋で過ごすしかできず、生活は安定していません。保護者もいません。
2人は仲良しです。じゃれ合ってそれはまるで本当の姉弟のように…。一緒にデュエットで歌うのもお手の物。
そんなロキタとトリですが、おカネを必要としていました。自分たちの生活のみならず、アフリカに残した家族への仕送り、さらには自分たちをここベルギーに連れてきた業者にも借金があるのです。
また就労ビザを持っているわけでもないので、普通に働くということはできません。就職など論外の状況にありました。
そんなロキタとトリはレストランを経営するベティムという男のもとで、ドラッグを売り歩く仕事をしていました。最初にスマホを預け、客にドラッグを渡しに行くという内容で、夜に街を歩いていると警察に呼び止められることもあるので危険でした。それでもこれくらいしか稼ぐ手段がありません。
仕事が終わると、ベティムからわずかな報酬と、余った食事を分け与えられるのみ。さらにはトリだけ部屋をだされ、ロキタは性的接待を要求されることもあり…。
たびたび不安定になるロキタに薬を飲ませるトリ。2人で支え合ってなんとかこの状況に耐えていました。
しかし、状況は悪化します。今度はベティムはロキタにもっと厳しい仕事を命令したのです。3カ月もある場所で大麻栽培のサポートをするという内容。でも断れません。
帰り道、案の定、ロキタは不安になり、道すがら頭をものに打ちつけます。トリは手当てしながらロキタをなだめます。
夜、目隠しをされて車でどこかに移動させられるロキタ。格納庫のような場所に着き、中へ。ここには最低限の居住スペースと必要な家具があり、奥には大麻プランテーションが稼働していました。男から手順の説明を受け、加えてスマホは没収されて、SIMカードを抜かれて通信できないようにされてしまいます。
淡々と作業する日々。ロキタはトリがいないことへの不安を抑えるのに必死で、寝るときはベッドで歌を口ずさんで自分を落ち着かせていました。それでもロキタは発作で倒れることがあります。
一方、トリはロキタがあまりに心配なので、意を決してベティムの乗る車に隠れて潜み、ロキタがいると思われる場所まで辿り着きます。「ロキタ!」と名前を呼んでも返事はなく、ドアは閉ざされているので、トリは侵入できそうな場所を探し、内部へ入ります。
2人は無事に平穏な生活を得ることはできるのか…。
同情的でありつつ、観客には厳しい
ここから『トリとロキタ』のネタバレありの感想本文です。
“ダルデンヌ兄弟”監督はこれまでのフィルモグラフィーにおいて、道徳的なジレンマや良心の危機に陥った主人公を配置することが多い印象でした。
例えば、『息子のまなざし』は息子を殺された男がその加害者である少年と別の形で対面するという物語ですし、『ある子供』は自分の子どもを養子として売り飛ばす大人がでてきますし、『ロルナの祈り』は偽装結婚を扱い、『少年と自転車』は育児放棄を題材にしています。前作の『その手に触れるまで』は過激思想にハマる若者を描き、イスラムフォビア(イスラモフォビア)を助長すると批判をされたりもしていましたが…。
対するこの『トリとロキタ』は主人公自体はそこまで道徳的な葛藤に陥るわけではなく、かなり一方的な被害者の立場にいる存在です。かろうじて姉弟の関係を偽っているところが多少の道徳的綻びをはらんでいますが、そこがずっと焦点となることもないです。
結果、今回の“ダルデンヌ兄弟”監督作は、これまでにないほどに同情的で、言ってみればユーモアのない“ケン・ローチ”監督作のような、弱者の置かれた状況にカメラをセッティングした映画になっていました。
冒頭から最後まで、ロキタとトリには試練の連続です。本当であれば人権が保障され、最低限度の生活が確保されないといけないのですが、それすらもない。それどころか未成年に対して虐待的な大人が忍び寄り、利用されてしまうという惨たらしい現状があります。
前述したように、今のベルギーは難民申請の対応が全然追いついていないので、こうやって未成年の当事者が路頭に迷うような状況になっていることは普通に起きているでしょう。
その中で、ところどころに既存の“ダルデンヌ兄弟”監督作っぽい要素が顔を覗かせます。
不法移民の斡旋が仕事の人たちがでてくるのは 『イゴールの約束』ですし、ラストの非常に運命を決する場面で車で通りかかるも助けない名も無き人たちは『午後8時の訪問者』の展開を思わせます。どれもそのまま“ダルデンヌ兄弟”監督の映画の主人公になりそうです。
作中で最も嫌悪感を観客に与えるであろうベティムも、なんらかの背景とかをつけ足せば、ガラっと変わっておなじみの倫理的ジレンマに揺れる主人公になれるんじゃないかな。
でも今作の“ダルデンヌ兄弟”監督はそれをしません。
そんな人たちをあえて脇に置くことで、「あなたもこの子たちを搾取している、もしくは見て見ぬふりで通過していくだけの人間ではないか?」と問いかける、そういう後味だけを残します。
その尊さは誰のため?
とても短く、物語展開としてもボリュームはそんなにない『トリとロキタ』を、リアリズムとして底上げしているのは、間違いなくロキタとトリを演じた2人の俳優です。
双方ともに演技経験はほとんどないそうで、ベルギー出身です。ロキタを演じたのは、“ジョエリー・ムブンドゥ”。トリを演じたのは、“パブロ・シルズ”。このまま演技の仕事を続けるかはわかりませんが、せっかくのチャンスで手にしたこのスペシャルなキャリアを伸ばしていってほしいですね。
こういう姉弟みたいな構図だと、日本でも『マイスモールランド』がありましたし、役者の自然体を引き出せるかは重要です。
そんなわけで若い主役たちの素晴らしいパフォーマンスはじゅうぶんに称賛に値すると思うのですが、映画として個人的にやや不満なのは、このロキタとトリのキャラクター造形。
アフリカからの難民という設定ですが、この2人は作中では非常に無垢で、それでいて同質的な存在として絶対的に固定されています。これはこれで非常にアフリカ人に対するステレオタイプな感じが否めません。
11歳のトリが無垢になるのは年齢的にまだわかるのですが、比較的主体性を確立しているはずのロキタが精神的に不安定になっているのでトリ以上に弱々しく、無垢に助けられる“か弱さ”を背負ってしまっているのがあんまり良くない気もする…。
この偽りの姉弟という関係もそんな純真さに依存した「なんて尊いんだ」と観客を感動させるための効果ありきなので、そんなにそこから話が広がりません。
最後はロキタに悲しい死が待っていますが…。こうなると悲劇のアイコンです。
嫌味な言い方をするなら、西欧の白人が好きそうな難民イメージですよね。
私としてはもっと難民と言えどもいろいろあるのだという、その当事者の複雑性を捉えた作品が欲しかったなと思っていて…。
ドラマ『Mo/モー』はそんな当事者の多様な状況が切羽詰まった叫びとともに垣間見えましたし、ドラマ『リトル・アメリカ』はよりその各国の当事者のストーリーというものが引き出されていました。今ならこういう作品がわりと生み出される時代ですよね。
『トリとロキタ』の場合は、ひとりはベナン出身、もうひとりはカメルーン出身らしいので(本人の背景は曖昧だけど)、本当はもっとそのバックボーンがあるはずで、尊い関係性の絆以外の語り口もあったと思うのです。
難民の当事者は、その旅路の過程で、自分のプロフィールも上書きしながらなんとか移動を繰り返しています。アイデンティティさえも切り売りするというのは本来はとても残酷なことで、そうせざるを得ない人たちが寄り添い合いたくてそうしているわけでもない。
この映画を観るだけで終わらず、そんな現実を変えるために、私たちは自分自身が真っ先に政治に関心を持たないといけませんね。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 88% Audience 69%
IMDb
7.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
第75回カンヌ国際映画祭の受賞作の感想記事です。
・『逆転のトライアングル』(パルム・ドール)
・『CLOSE/クロース』(グランプリ)
・『別れる決心』(監督賞)
・『聖地には蜘蛛が巣を張る』(女優賞)
・『ベイビー・ブローカー』(男優賞)
・『EO イーオー』(審査員賞)
作品ポスター・画像 (C)LES FILMS DU FLEUVE – ARCHIPEL 35 – SAVAGE FILM – FRANCE 2 CINEMA – VOO et Be tv – PROXIMUS – RTBF(Television belge) トリ・アンド・ロキタ
以上、『トリとロキタ』の感想でした。
Tori and Lokita (2022) [Japanese Review] 『トリとロキタ』考察・評価レビュー