マイノリティの怒りが猿を強くする…映画『モンキーマン』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ・カナダ(2024年)
日本公開日:2024年8月23日
監督:デヴ・パテル
性暴力描写 性描写
もんきーまん
『モンキーマン』物語 簡単紹介
『モンキーマン』感想(ネタバレなし)
デヴ・パテルは立ち向かう
2024年8月も始まったばかりの時期、イギリス各地で移民排斥を主張する集団が難民申請中の人たちの宿泊施設を襲撃するなどの騒乱が拡大しました。150人以上が逮捕されるも止まりませんでした。
これを受け、“キア・スターマー”首相は「この国の人たちは安全に過ごす権利がある。それにもかかわらず、ムスリムのコミュニティーが狙われ、モスクが襲撃されるのを、私たちは目の当たりにした」「他の少数派コミュニティーも、標的にされている。ナチス式の敬礼が行われ、警察が襲撃され、人種差別の表現と共に無軌道な暴力が相次いでいる。なので、私はこう呼ぶのをためらわない。これは、極右の暴徒による蛮行だ」と強調しました(BBC)。
この騒乱の発端は、ある事件における偽情報なのですが、無論、その背景には差別主義があるのは言うまでもありません。
これはイギリスに限らず世界中で蔓延している危険な空気です。この現状とどう向き合うか…今こそ試されています。
そんな中、映画という武器で闘うことにした人物がここにいました。
“デヴ・パテル”(デーヴ・パテール)です。“デヴ・パテル”は1990年にロンドンで生まれた若手俳優で、2008年の『スラムドッグ$ミリオネア』で一躍話題に。その後も、『LION/ライオン 〜25年目のただいま〜』、『ホテル・ムンバイ』、『どん底作家の人生に幸あれ!』、『グリーン・ナイト』など多彩な映画に出演して実績を積んできました。
その“デヴ・パテル”はインド人の両親のもとに生まれ、ヒンドゥー教の家庭で育ちました。マイノリティな立場にありつつ、政治姿勢としては弱い立場に寄り添い、権力を批判する姿も印象的でした。
そして“デヴ・パテル”が監督デビューとなったのがこの『モンキーマン』です。脚本も製作も兼任しています。
本作はまさに“デヴ・パテル”だからこその映画になっています。国家主義や超保守的な運動が宗教的マイノリティ・人種的マイノリティ・性的マイノリティを迫害する現実…そんな理不尽さに真正面から戦いを挑む作品です。
舞台はインド。“デヴ・パテル”のルーツであるこの国で、“デヴ・パテル”自身が主演となって、苛烈な復讐の怒りの炎が炸裂します。
ジャンルとしてはリベンジ系のクライム・アクションというベタなもので、『ジョン・ウィック』をリスペクトした孤軍奮闘で血生臭いアクションが連発します。
実は“デヴ・パテル”は黒帯初段の持ち主で、昔から格闘技に精通しているとか。とは言え、本当に自主制作のスタイルだったそうで、本作撮影中に“デヴ・パテル”も結構怪我したみたいです。しかし、そんな低予算を感じさせないほどにクオリティは上々です。
2014年頃から“デヴ・パテル”はこの作品の構想をしていたらしいですけど、やっとキャスティングも決まってインドでロケ撮影しようと思った2020年にコロナ禍で中止せざるを得なくなり…。
それでも2021年には完成したみたいですが、一時は「Netflix」に買われたものの、映画の内容が非常に政治批判的だったため、「Netflix」がビビって手放してしまうという(そんな噂もある)…。だとしたらダサいよ、Netflix…。
そんなピンチに颯爽とこの映画の価値に気づいてくれたのが、あの『ゲット・アウト』で一気に先鋭監督のトップに立った“ジョーダン・ピール”。プロデューサーになってくれ、「ユニバーサル・ピクチャーズ」に話をつけるまでしてくれて、ようやく2024年に公開となりました。
さすが、“ジョーダン・ピール”。この“デヴ・パテル”とのタッグ、最強のバディだ…。
『モンキーマン』で“デヴ・パテル”と共演するのは、『ミリオンダラー・アーム』の“ピトバッシュ”、『愛しのモニカ』の“シカンダル・ケール”、ドラマ『The Night Manager』の“ソビタ・ドゥリパラ”、ドラマ『Rudra: The Edge of Darkness』の“アシュウィニー・カルセカール”など。
インドでフルカスタマイズされたアクションを楽しみにするも良し、一緒に政治権力に鉄槌を加えるも良し、インドのクィア文化のパワーに酔いしれるも良し。『モンキーマン』の“デヴ・パテル”についていけば間違いなしです。
『モンキーマン』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :題材に関心あれば |
友人 | :ジャンル好き同士で |
恋人 | :恋愛要素はほぼ無し |
キッズ | :暴力描写が多め |
『モンキーマン』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
インドの森の村で、幼いキッドは母親のニーラと暮らしていました。穏やかで平和な世界。そんな環境でキッドは愛情を注がれてスクスクと成長しています。母はそんなキッドにインド神話のハヌマーンの物語を生き生きと語り聞かせてくれます。猿の姿をしたハヌマーンはマンゴーだと思い、太陽を食べてしまった物語を…。
年月は経過。「タイガーズ・テンプル」というファイトクラブ。血気盛んな男たちでごった返しており、粗末なリングで戦っているのは2人。そのうちのひとりは猿のマスクをしていました。「モンキーマン」と名乗るそのファイターは殴られまくり、場外に投げ飛ばされてしまいます。このファイトクラブを仕切るタイガーは威勢よくその勝者を讃え、観客を盛り上げます。勝者に大歓声が浴びせられる中、猿はゆっくり脇を通って退場し、奥の通路へ引っ込みます。
猿のマスクをとって顔を晒したのは大人になったキッドです。しばらくずっとここで戦っていました。カネがいるのですが、ここでは全然稼げません。ボロボロになってこき使われるだけです。
それでもキッドはここにいる意味がありました。ある相手に復讐をしたいのです。
その相手は表向きは社交クラブのような佇まいながら実は高級売春宿でコカインの取引場ともなっている「キングス」に出入りしているそうです。まずこのキングスに潜入しないといけません。そこでマネージャーのクイニー・カプールという大物の情報を仕入れます。
このクイニーに接近することが最初の一歩です。キッドはクイニーと面会できるように仕掛け、本当の狙いを隠しながらクイニーの目の前でキッチンの下働きの仕事を与えてもらいます。キッドはヤケドした両手のひらをみせ、自身の誠意を証明します。こうして雇用されることになりました。
厨房でいたって真面目に汗水流して働くキッド。どんな重労働でも弱音を吐きません。
一方で、スラムに隠れた武器屋に足を運び、大量の銃が並んでいるその店で手頃な拳銃を入手します。着実と復讐の準備を重ねます。
厨房では、ギャングの小柄なアルフォンソと親しくなります。上手く繋がっておけば、このクラブでさらにターゲットに接近しやすくなるでしょう。アルフォンソは随分と馴れ馴れしく、懐柔しやすそうです。
そこでタイガーズ・テンプルでアルフォンソに有利になるよう試合を仕組んで金を儲け、その見返りとしてウェイターに昇進します。小綺麗な格好で、アルフォンソにここの上客の対応のしかたを教わるキッド。
そしてついにターゲットに急接近できます。それは、自身が幼い頃、故郷の村を強襲し、母を殴り、焼き殺した警察署長の男。邪魔な存在だという理由だけで、村ごと抹殺されたその恨みは今も消えていません。
怒りがおさまらないキッドはついに復讐を実行に移しますが…。
弱者のための賛歌
ここから『モンキーマン』のネタバレありの感想本文です。
『モンキーマン』について生みの親である“デヴ・パテル”監督は「周縁化され、声を上げることができず、犠牲者となった者たちのためのアンセム(賛歌)」と表現しています(PinkNews)。本当にそのとおりの映画で、“デヴ・パテル”の社会正義が率直に込められた誠実な一作でした。リベンジ・アクションとしては『RRR』なんかと大雑把には舞台も大筋も変わらないのですけど、よりコンパクトながらも、明確にマイノリティに寄り添うことに特化してくれていますね。
繰り返しますけど、『モンキーマン』は、国家主義や超保守的な運動が宗教的マイノリティ・人種的マイノリティ・性的マイノリティを迫害する現実…そんな理不尽さに真正面から戦いを挑む作品です。
まず主人公のキッドの村が焼き払われる事件。その実行者は警察ですが、背後にあるのはインド社会では一般的な宗教指導者であり、いわば宗教と政治が結びついた「宗教右派」です。
現在のインドも、”ナレンドラ・モディ”首相が長期政権下で、ヒンドゥー・ナショナリズムと呼ばれる宗教右派的な姿勢を強化し続けています。本作に登場する宗教指導者のババ・シャクティもその立ち位置や思想はどこか現実の権力者と一致します。
キッドの村は宗教的マイノリティのコミュニティだったようで、公権力に異物とみなされ、排除の対象になってしまいます。
さらに本作の通底するもうひとつの迫害が「女性差別」です。
本作はどうやら直接的なシーンをカットしているようですが、キッドの村が襲われる際、キッドの母は警察署長のラナに性的暴力を受けたうえで燃やされています。
インタビューでも“デヴ・パテル”監督は、通称「ニルバヤー事件」と呼ばれている2012年12月16日にインドのデリーで発生した集団強姦事件を着想のひとつに挙げていました。この事件は女性が残忍に性的暴行を受けたもので、そのあまりの残酷さからインド社会では抗議が沸き上がり、インドにおける「女性への性暴力」、もっと言えば女性差別に対する意識を見直す大きな起点となりました。
作中ではシータというキャラクターも女性の怒りを代弁する存在として活躍します。
なお、初期の脚本では、キッドとシータにもっとロマンスが芽生える明確な演出があったらしいのですが、“デヴ・パテル”監督は「性的暴力を扱った映画でキス・シーンを安易に挿入するのは間違っていないか」という懸念を持ち、大幅に削ったそうです。
この宗教右派や女性差別の社会問題については実際の映像を引用したりして、スッとジャーナリズムに演出していたりもして、真に迫るものがありました。
こんなヒジュラを観たかった!
上記のマイノリティへの目線を持った作品はそれほど珍しくはないのですけど、『モンキーマン』が他にはないさらなる包括力をみせたのが、「ヒジュラ」を描写したことです。
「ヒジュラ(Hijra)」というのは、インド亜大陸で知られている、出生時に男性とみなされた女性的なアイデンティティを持つ人々のこと。いわゆる「第3の性別」として認知されており、欧米や日本で言うところのトランスジェンダーやインターセックスに該当する人たちが含まれてもいます。世界各地にはこうした性別二元論に当てはまらないジェンダー・ダイバースな人々が固有の歴史的文化を持って存在しており、最近だと『ネクスト・ゴール・ウィンズ』で描かれたサモア社会における「ファファフィネ(fa’afafine)」なんかもそうです。
ヒジュラは古代から言及がありますが、現在のヒジュラの多くはセックスワーカーとなっているとのこと。インド、パキスタン、バングラデシュを含む地域に少なくとも1000万人のヒジュラが存在すると推定されています。
このヒジュラを映画で描くこと自体が非常に珍しいのですが、異質で奇抜な存在として蔑視的に描くわけでもなく、ちゃんとそのコミュニティを丁寧に映し出しているのが良いです。
復讐に失敗し、疲労困憊のキッドが流れ着いたのはヒジュラのコミュニティ。こちらも権力による迫害の対象になっており、その構図は世界各地で巻き起こる反トランスジェンダー運動に通じます。
このコミュニティでキッドがジャンルおなじみのトレーニングを重ねて強くなっていくのもユニークですが、さらに終盤の殴り込みバトルでは、ヒジュラの戦闘チームまで参戦してくれるという大盤振る舞い。「”権力に癒着するセックスワーカーの搾取者” vs ”迫害されるマイノリティなセックスワーカー”」というなかなかない対決マッチです。これだけでも「うわ、こんな展開を見せてくれるなんて!」とテンション上がります。
本作でヒジュラのリーダーであるアルファを演じている”ヴィピン・シャルマ”はシスジェンダー男性ですが、周囲にいて終盤に戦闘にも参加するヒジュラのうち少なくとも3人は実際のトランス女性(マレーシア人がひとり、インドネシア人が2人)が演じているそうで(HeadStuff)、すっごくカッコいいですよね。クィアなジェンダー・アイデンティティの人がクールにアクションを決めてくれるだけで、私の中では100点満点中150点くらいは叩き出している…。
そうした多様な人々が息づいているインドのアンダーグラウンドを描くあたりでも、演出がとてもキレがあって、変にみすぼらしさばかりを誇張せず、フェアに描いているなと思いました。
暗殺者としてプロフェッショナルではないキッドがひとりでは成し遂げられなかったことでも、大勢のマイノリティ同士が力を合わせることで実現できる。それは現実の勝利の方程式でもあります。
“デヴ・パテル”と共に映画界で声を上げていきたいものです。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
○(良い)
関連作品紹介
デヴ・パテル主演の映画の感想記事です。
・『グリーン・ナイト』
・『ホテル・ムンバイ』
・『LION/ライオン 〜25年目のただいま〜』
作品ポスター・画像 (C)Universal Studios. All Rights Reserved.
以上、『モンキーマン』の感想でした。
Monkey Man (2024) [Japanese Review] 『モンキーマン』考察・評価レビュー
#インド #トランスジェンダー #宗教差別